どうも、長屋王にたいする劣等感としか考えられません。
自分の母は臣下の子。
長屋王の母は元明天皇の姉、持統天皇と、天武天皇の子。父は高市皇子、妻は草壁の皇子と元明天皇の子で元正天皇の姉妹。
自分の妻はやはり臣下の藤原氏ので、いかに元明天皇に「女だから皆同じと思いなさるなよ、彼女の父はあの功臣不比等ですぞ」と言われていたにしてもです。
聖武天皇にとって藤原氏は忠実な臣下であってそれ以下でも以上でもない。
これも、不比等が自分を消して一途に持統天皇、元明天皇、元正天皇と仕えてきたからです。
もちろん、不比等にも計算はあったでしょう、父鎌足が中大兄皇子とくんで蘇我氏を滅ぼしたように、出過ぎれば身を滅ぼすという同じ過ちを犯すまいと言う強い思いもあったと考えられます。
生まれながらの帝王である聖武天皇にはその辺の機微はわかりません。
ただただ藤原氏は忠実なる僕と考えていたのでしょう。
したがってその子が自分の母でありまた妻であることに違和感があった。
でも、周りは誰もそれをおかしいとは言っていないにも拘らず、一人自分で拘っていた。
そこへ、長屋王のクレーム。正しい指摘であるかどうかは関係ありません。
言わば自分の弱点を衝かれ、しかもその相手が1番にがてとする長屋王。
この時点で聖武天皇の思いは長屋王憎しまで一気に沸騰したのかもしれません。
聖武天皇の即位直後その事件はおきる。
といってもつまらない事件です、でも聖武天皇にとっては心の傷となった大事件だったかもしれません。
ことは母、宮子の呼称の問題です。
聖武天皇が詔して、生母宮子を「大夫人」(だいぶにん)と称する。
それに対して、長屋王がなぜ大夫人なのか?皇太夫人の間違いじゃないですかと、言わば文句をつけたのです。
天皇の生母なら皇の字がつくのがあたりまえ、なぜつかないのか?
当然と言えば当然の正論です。
そこで聖武天皇は前の勅を撤回し、「文には”皇太夫人”とし、語には大御祖”(おほみや)とし、先の勅を追い収めて、後の号を分ち下すべし」
大御祖とはいったいなにかよくわからないが、おそらく皇祖母から皇をとったのではないかと考えられる。
というのも大夫人も皇太夫人から皇をとったものと考えられるからです。
どうしても皇と言う字を宮子に付けたくなかった、あるいは付けることに抵抗(自分自身の)があったとしか考えられません。
たしかに宮子は皇族ではありません、藤原不比等の子です。
しかし天皇の母ですからなんら問題はないのに聖武天皇はこだわっています。
何故でしょうか?
持統天皇文武天皇に譲位したとき、あるいは元明天皇の即位に際して、天智天皇が定めた不改常典が出てくる話は前に書きました。
そしてその実態は良くわからない。
とにかく、持統天皇の血筋を継ぐものが即位するときの切り札のようにして使われています。
要は、正当性を主張するために道具です。
なぜそういうものが必要かと言えば、言わば言い分けです。
逆に言えばそう言わないと正統性が主張できないからです。
さて聖武天皇はと言えば、親は文武天皇、その皇子であるから紛れもない正当な跡継ぎです。
しかも、そのとき表立って即位に文句をつけるような勢力は存在しません。
だから、言わば胸を張って即位すればいいのですが、聖武天皇は何故か母親が臣下の藤原氏の出であることを気にしています。
何故かと言えば、長屋王の存在です。
長屋王の父は壬申の乱の功績者であり天武の第1王子である高市皇子です。
にもかかわらず、高市皇子は母親の出自が卑しかったために皇位継承者とはなりえませんでした。
そして資格のあった大津の皇子は持統天皇によって滅ぼされています。
長屋王は違います。
父は天武の子高市皇子、母は天智天皇の子である御名部皇女、元明天皇の姉妹です。
これ以上の資格はないと言えるほどの資格者です。
天智の不改常典でも妨げようのない資格です。
だから聖武天皇は長屋王を恐れているのです、仮に長屋王にその気がなくてもライバル視しているのです。
このようにして、持統天皇以来、元明、元正とリレーされた、皇位の継承のいわばゴールである聖武天皇はどのような人だったのでしょう。
先にNHKの「歴史秘話ヒストリアル」でも紹介されていたが、その文字は繊細です。
生まれながらの帝王でありながら、繊細。気弱。裏返しの傲慢。かなり複雑な性格と思われます。
まず生母、自分が生まれたときから爾来30有余年我が子の前に姿を現すことのなった宮子。
おそらく精神的な病であったと思いますが、よくわかりません。この母の存在も聖武天皇の性格に複雑な影をおとしているようです。
聖武天皇は生まれながらに天皇になることを約束されていました。
だから誰はばかることのない帝王です。しかし何故か周囲に気を使っています。
実際、皇位の継承に関して誰からも文句の出ようもないし、また実際はライバルもいません。
しかし、長屋王の存在が気になるようです。
奈良県かるた協会では、毎年この時期にかるたの合宿をやっています。
2日間で9試合をとります、1試合ざっと1時間あまり、2日間でざっと10時間以上かるたを取り続けるわけです。
このくそ暑いときに、なにをやってるんかな、というのが一般の人の感想じゃないかと思います。
ところが、今年は100人を越える参加者、少ないときは20~30人、平均50人ぐらいでしたが、空前の参加者。
理由はしかとわかりません、あるいは「ちはやぶる」(BE loveという雑誌の連載中のコミックで講談社から単行本も出ている)効果かも。
ま、なんにしても盛況なのは結構なこと。
会長たる私は、朝ちらっと挨拶に行っただけ、いやはやひどい会長です。
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