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不比等という人は鎌足の子供です。

天武天皇にとっては、鎌足は煙たい存在でした、行動を一喝されたこともあります。

その息子の不比等を快く思っていたとは思えません。

だから不比等が頭角を表すのは天武に死後です。

もちろん妻である三千代の存在も大きいですがこの結婚自体が不比等の陰謀であったかもしれません。

こうして、天智の元で階段を上り始めた不比等は元明の時代には完全に政権の中枢にありました。

そこで、天智の娘でもある元明天皇に勧めて遷都を実行したのです。

奈良時代は、天武の血統の粛清の時代でもあります。

その前に持統天皇による天武の子である大津の御子の死もありますが、これは天武の血というより、我が子を皇位につけるための、母親の意思であったと思います。

奈良時代といえば、長屋王の死があります。言うまでもなく天武の子である高市皇子の子です。

聖武天皇の子である安積親王のいささか不審な死もあります。

最後には同じく聖武天皇の子である井上内親王の死。そうして称徳天皇の死によって天武の血筋はすべて途絶えてしまいます。

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今日は皇太子様をお迎えして、大極殿の完成記念式典が行われます。

そして明日からは遷都1300年祭が平城宮跡でオープンです。

今から1300年、藤原京からこの奈良への遷都は元明女帝の御世に行われました。

その遷都の詔によれば、どちらかといえばあまり気が進まない様子が見て取れます。

それにも拘らず遷都が行われたのは、藤原不比等の意思だったといわれます。

不比等は言うまでもなく鎌足の息子です。

そして鎌足といえば、天智天皇の文字通りの忠臣です。

ここで考えられるのは、この遷都はもちろん海外情勢もあるでしょう、そのほかにももろもろの理由があるかもしれません。

でもまだ完成すらしていない藤原京を捨て、遷都する強い理由は、天武の都を捨てたかった。

それが最大の理由であるかもしれません。

平安京に移ってからは、天武の事績はことごとく無視されているのは周知の事実です。

でも、この平城京の天皇は天武の血筋であり天武の影響下にあったというのが、従来の定説です。

しかし遷都の理由が天武の影響から抜け出すことであったならどうなるでしょう?

奈良時代が天武系の天皇の時代というのは違うのではないか。

持統天皇にとって、天武の血筋が問題なのではなく、要するに単に我が子、我が孫の皇位を継がすことがすべてだった。

そもそも、持統天皇は天智天皇の娘です。そして天武にはざっと10人妃がいます。

持統が天武を愛していた、なんて勝手な想像で、まったく愛情なんかもっていなかった。吉野に行動を共にしたのも、壬申の乱で行動を共にしたのも、成り行き上やむおえなかったから。

だから、天武との子だから皇位に就けたかったのではなく、自分の腹を痛めた子であるから皇位につけたかったと、考えた方が自然かもしれません。

だからこそ、我が子のため天武の血を分けた皇子である大津の御子を死に追いやった。

そして元明天皇も草壁の御子の妃であると同時に天智の子であることも重要です。

 

元明天皇の即位の詔。簡単に言えば、持統天皇が文武天皇に譲位してその後2人の天皇が共同執政したのは、天智天皇が永遠に「不改」の「常典」と定めた「法」に従っておこなったことだ。

聖武天皇も「かけまくもかしこき淡海大津宮で天下を統治した天智天皇が、万世に「不改常典」と立て敷いた「法」に従って、天皇の位と国家の統治権は、かならず我が子に過つことなく授けなさいとお命じになった」というぐあいです。

天武の血筋の天皇が即位の詔に用いるのが、天武ではなく天智の言葉を持ち出す。

これはどういうことでしょう?近江令はわかりますが、天武が作った飛鳥浄御原令が施行されているにもかかわらず です。

 

奈良時代に関する第1級の資料はなんと言っても続日本紀です。

最近参考資料を少し読んでいるのですが、少し面白いことがわかりました。

といっても、とうに学会では常識なんでしょうが・・・

というのは天皇の即位の詔に天智天皇のいわゆる「不改常典」という言葉使われています。

私の常識では、奈良時代は天武系の時代、平安時代は天智系の時代という感覚です。

その天武の血を引く天皇たちが即位の詔に天智の言葉を使う。

ちょっと違和感があります。

まだ検証が不足ですが、どうも天武系というより持統天皇系というのが正しいのじゃないか?

天武の血というより持統の血を引くことが大事でむしろ極端に言えば天武はどうでも良かった。なんて考えるのです。

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