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宿泊したハノーハーはニーダーザクセン州の州都。
18世紀にはイギリス国王も兼ねたハノーハー王家ゆかりの地ですから
見どころも多くありますが、今回はホテル到着が7時過ぎであくる朝8時半出発。
残念ながら観光はできませんでした。
ただフランクフルトからの中継地としては絶好の位置で、ここからハーメルンまで約60k1時間ほどで到着します。
ハーメルンはウエザー川そばに位置し人口は約6万人。
交通の要衝として経済的に繁栄し、裕福な商人らが競ってウエザールネサンスという華やかな装飾を施した家々を建築し、美しい街並みを今に残しています。



しかしハメルーンの名を世界的なものにしたのは、なんと言ってもグリム童話の
「ハメルーンの笛吹き男」の話です。
この話は実際に1284年の6月26日に130人もの子供たちが忽然と失踪した
という話に基づいていますが、その理由についてはよくわかっていません。
しかし、この話のおかげでハメールンには今も世界中から観光客が
訪れるようになったのですから笛吹男に感謝しないといけないでしょう。

町の観光には道に埋め込まれたネズミをたどれば行けるようになっています。

そして我々の昼食は「ネズミ捕り男の家」Rattenfangerhausでいただきました。

この店のわきから始まる路地が,子どもたちが連れ去られたという
舞楽禁制通りBungelosenstr.です。





そして提供される料理がこの町の名物「ネズミのしっぽ料理」(実際は豚肉の細切りです)。
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メルヘン街道はハーナウから始まりブレーメンまで続く道で、グリム兄弟ゆかりの地や
お話に出てくる町が街道沿いに点在します。
次に訪れたのがラインハルトの森の中にあり、周りを自然公園に囲まれたザバブルク城。
我々が訪れた時も地元の高校生らしき一団がハイキングに来ていました。
ここはグリム童話のいばら姫の舞台だと言われています。
小高い丘の上にありますが、ドイツでは丘のことをベルクあるいはブルクと言い、
大概丘の上にあることから城のことを指してブルクと言います。
大体中世以前に建てられ多く石造りです。
それに対してシュロスは中世以降建てられた城塞で、それが近世になると城としてより住居,
宮殿となり、内部に絢爛豪華な装飾が施されレジデンスとなっていきます。
ザバブルクのブルクもこの意味で小高い丘にあります。

 
このザバブルク城は現在はホテルとして利用され、われわれ一行はここで昼食を頂きました。
城の周りにはイバラ媛にちなんでバラが植えられ昼食もバラ風味のパスタでした。

 いばら姫は魔法使いに魔法をかけられ100年眠り続けた王女が100年目に王子に救い出される話ですがディズニー映画の眠れる森の美女としてのほうが有名かもしれません。

次に訪れたのも同じくディズニー映画のラプンツェエルのモデルとなった38mの高い塔を持つ
トレンデンブルク城です。長い髪の代わりに紐が吊り下げられています。
  
   トレンデンブルク城から見た風景

 グリム兄弟がメルヘンを集めたのは1806年ごろ、フランスの支配下にあったドイツでは国家意識が高揚した時期でした。
ドイツ的な物を模索し、精神的遺産である民間伝承や英雄的伝説の採集が背景にありました。
そんな中で古い伝説や童話を子供たちに語るドロティア・フイーマという夫人に出合います。
グリム兄弟は約1年5か月にわたって彼女の話しを聞き取り、
それがグリム童話の元となります。
それはグリム兄弟が生まれ故郷のハ-ナウから移り住んで30年暮らしたカッセルの町です。
カッセルはメルヘン街道の中ではブレーメンに次ぐ大きな都会でフランクフルトとハノーファーのほぼ中間に位置します。
我々一行は折から教会の鐘の音が響き渡るカッセルの町を通って今宵の宿泊地ハノーヴァーへと移動しました。
 
今回のツアーの名目はメルヘン街道を巡るです。
その最初の訪問地は赤ずきんちゃんの故郷といわれる
シュバルムシュタット。
ツアーの良いところは、個人ではなかなか行けないとこまで
連れて行ってくれるところです。
この町も、個人で来ようと思うと、列車やバスを乗り継いで
⒈日がかりになってしまいますが、ツアーでは貸し切りバスでフランクフルトから2時間半。
運転手はポーランド人のウイリーさん。ポーランドでは高校の社会の先生だったとか。
ドイツのEUとの関係がこんなところにも垣間見えます。
EUのおかげでドイツは周辺の旧ソ連圏の東欧の国々から教育のある人々を安く雇用することが容易になりそれがドイツの経済を支えています。
ウイリーさんも国に帰りたいが、所得が3分の一になるのでなかなか帰れないと
言っていました。
 

シュバルムシュタットは、いくつかの村の総称で今回訪れたのはその中の
周囲を掘りに囲まれた木組みのかわいらしい家が残るツィーゲンハイム。

グリム童話の「赤ずきんちゃん」の故郷と言われています。
フランスにも同じような話があり、どちらが元になったのかは
わかりませんがこの町の民族衣装で少女が頭に頭巾ではなくかわいらしい
コップを逆さにしたような赤い帽子を被る衣装があり、
それが赤ずきんちゃんを連想させることからこの町が故郷と言われるようです。
町は、30分もあれば回れるようなこじんまりとしたかわいい町です。
街には城が残っていますが、そこはなんと今、刑務所。2重の塀に厳重に囲まれ入ることはできません。
ツアーは30分ほどこの町を散策した後、次の目的地へまたバスで移動です。
関空からドイツへの直行便はルフトハンザ航空のフランクフルトまでの一日一便です。
関空を朝10時に出発して、時差の関係で同じ日の昼3時頃に約11時間かけて
フランクフルト到着となります。
前回と同じく、今回もフランクフルトからDB(ドイツバーン)を利用して
鉄道で移動しました。
ICEという、ドイツの新幹線にのります。
乗り心地は快適で,車内も清潔です。
最高速度は300kまで出るようですが、社内の表示を見る限りでは
200k以上は出ていないようです。
ここで、今回は思いもかけないトラブルがありました。
ドイツで鉄道を利用する場合にはジャーマンレイルパスという割引切符を使うと
かなりお得です。
いくつがタイプがありますが今回も3日利用のパスを購入しました。
3日というのは、期間ではなく,3回利用できるということです。
まず駅でそのパスに今日から利用開始をするスタンプをもらい,
ICEの切符をそれを使って購入します。
ここまでは得意の?ドイツ語を使ってスムーズにいき
最初思っていたより早い列車に煮ることができそうでした。
指定されたホームで列車の到着を待っています。
駅の表示板にも乗る予定の列車が表示されていました。
なにやらアナウンスがありましたが、
このアナウンスはドイツ人でもなかなか聞き取れないという話です。
ところが皆の様子が変です。
階段を上がって別のホームへ移動する人があります。
でも、表示板は変わっていません。
そのうち走り出す人もいます。
ふと別のホームの表示板を見ると、乗る予定の列車が表示されています。
事情がよくわからないまま、皆について別のホームにスーツケースを抱えて
急遽移動。

階段を降りると同時に列車が入ってきました。
乗る車両がわかりません。
皆走っているので聞く人もいません。
ようやく駅員を見つけて指示された車両に飛び乗ってすぐに発車。
まさに危機一髪です。
ここまでで、もうドキドキです。
ところが乗り換えがあります。
予定ではついたホームの向いのはず。

ここでも表示板は乗る列車を表示していますが、待てど暮らせど来ません。
そのうち予定時間は過ぎてしまい。
急きょ駅員を探して聞き出すとまた別のホームを言われます。
今度はエスカレーターがありません。
重いスーツケースを抱えて階段を下りていると、ドイツ人が持ってくれました。
そして隣のホームへ、ここでもエスカレータ―はなし。
ここでもドイツ人が頼のんでもいないのに上まで重いケースを持って上がってくれます。
前回もそうでしたが、ドイツの人々は本当にさりげなく親切です。
ところがそのホームにも列車はいません。

まさに進退窮まったという感じですが、自分で解決するしか方法がありません。
そこで駅の切符売場まで行って英語・ドイツ語をごちゃまでで、
しどろもどろで事情を説明し、何とか後の列車の切符を確保。
せっかく早い列車の乗ったのに。結局一台後と同じになりましたが
そこまで大仕事を成し遂げた感じで、旅のスタートは前途多難です。
ドイツの鉄道は他の国に比べれば遥かに正確ですが、それでも日本と比べれば
とんでもないこともあるという教訓です。
後で聞けばホームの変更程度は日常茶飯事とか。

こうして多少のトラブルはあったもののツアーの団体とようやく合流できました。
ここからは添乗員にすべて任せてのんびりと旅ができます。
今回のツアーは北ドイツのメルヘン街道を巡る旅です。
ツアーのメンバーは11名。
さてどんな旅になるのか。

前回は平城遷都まで書きましたが、次に大きな転機は平安京への遷都です。
この時以来、平城京は南都となり、政治経済文化の中心ではなくなり
「都城変じて田畝となる」と旧都の面影を急速に失い、
七大寺を中心とする社寺の都とその姿を変えます。

そこに輪をかけて。京に王城鎮護の寺として延暦寺、園城寺が勃興するにつれて
相対的に南都の寺々の地位も低下していきます。

その中でも、最初から朝廷の手厚い庇護を受けた東大寺はその権勢を保ち、
政権を担う藤原氏の氏寺である興福寺が強大化していったのに対し、
他の五大寺は衰運に向かいますが、元興寺もまさにその典型的な打撃を受けます。

長元八年(一〇三五)に著された堂舎損色見録帳がこの様をよく示しています。

そこには、南門はすでになく、金堂の金物がなくなり、屋根は壊れ、
天井板は朽ち落ち雨もりがひどく、壁は落ち扉も窓も壊れ、僧房の屋根も破れ雨が漏り、
草が生え実に痛ましいさまであると書かれています。 
こうした建物だけでなく、教学の面でも、火の消えたような状態で、
三会の講師や僧綱の名簿からも元興寺の僧侶の名は消え、義昭を最後に
有名な学僧も現れずその光を失った状態でした。

一方興福寺は春日の神威も合わせ、ますますその力を強め
南都と言えば興福寺を意味するほどでした。
11世紀になると元興寺の別当の多くが興福寺の僧侶で占められ、
その援助のもとに寺の維持修造が行われてようやく寺観を保っており、
興福寺の末寺的な存在となっていました。

こうしてかっての大寺としての面影をすっかり失った元興寺にまた大きな転換が訪れます。

それが、浄土思想の興隆と末法思想の成長です。

その中で、三論系浄土教の源である元興寺の僧智光と
その曼荼羅が安置されている極楽房の存在が世間の注目を浴びることになります。

智光の住坊元興寺の東室南階大房の一室が曼荼羅と共に有名になり、
いつしか極楽房と呼ばれ念仏者が集まり、念仏講が結成されてゆきます。

やがては、本来元興寺の僧房であったことすら忘れられ、
極楽房が独立性を高め却って旧元興寺を背負っていく体制となり、
逆に元興寺の寺地は奈良町の中に埋没し、
独立性を高めた極楽房は
東大寺の四脚門を正門とし、元興寺とは無関係に
東に向かった
本堂の形式を作り上げ独立寺院と化します。

さらには宝徳三年(1451)には土一揆がおこって
小塔院から出火し金堂以下主要堂宇のほとんどを失い禅定院まで延焼し、
智光曼荼羅の原本まで炎上します。

わずかに残ったのが五重の大塔と、観音堂と極楽房という有様でした。

以後近世に至るまで元興寺は古代大寺の姿をすっかり失い町に飲み込まれていきます。
その後、江戸時代には幕府より朱印を頂き50石の
知行も与えられ、
智光曼荼羅を中心とした信仰にも支えられ一応の安定を得ましたが、
創建以来1200年その威容を誇り、奈良名所のひとつであった五重大塔が
安政六年(1859)
毘沙門町より出た火に焼かれ灰燼に帰し、
元興寺は全く廃墟となってしまいます。

明治を迎え廃仏毀釈の嵐はこの極楽房にも押し寄せ朱印地は没収され
寺は西大寺預けとなり、事実上無住の状態となります。

極楽房は今の飛鳥小学校の校舎に充てられ、その後も女学校や裁縫学校として使用され、
寺としての機能は全く失われる時期が続きます。

極楽房の復興は戦後になってからのこと、その調査によって禅室が奈良時代の構造を
そのまま残していること、瓦も飛鳥時代の瓦が使われていることなど貴重な事実が判明し、
また屋根裏から中世の庶民信仰の厖大な資料が発見されたことなどから、
禅室、本堂が国宝に指定され、東門も重要文化財。
庶民信仰資料も重要民俗資料に指定され、ようやく復興の気運に向かい
寺院としての活動も開始されました。
こうした民俗資料の整理から発展していったのが、後に稲荷山の鉄剣の
金象嵌文字の発見で一躍脚光を浴びた現在の元興寺文化財研究所でした。

 
  

以上駆け足で元興寺と奈良町の歴史を振り返りましたが、
このように奈良町は衰退した元興寺の旧境内に公権力や町衆といった
はっきりした主導者がいたわけでなく年月をかけて自然発生的にじわじわと
形成されたもので、これがいわば奈良町の特徴です。

元々元興寺の境内地に発生した奈良町は奈良時代の条坊は、ほとんど失われ
新しく町家が立ち、そこは新在家とか新屋町と呼ばれ、条坊を壊して道が新たに通り
突抜町と言った町名ができます。
また元興寺の子院名や花園などゆかりの施設名等が多く名前を今に残しています。

 万葉集の坂上郎女の歌
 「故郷の飛鳥はあれど あおによし奈良の明日香をみらくよしも」
 

この地域は奈良の飛鳥と呼ばれ現在も飛鳥地区となっていますが定説では明日香の飛鳥寺が移ったからこの場所を飛鳥と呼ぶと言われていますが、近つ飛鳥として今の大阪府羽曳野市飛鳥を中心とした地域も呼ばれており、その場所は元興寺とは何のゆかりもないことから
飛鳥寺に付随して名前が移ったのではなく、あるいはその場所に何か共通の特徴が
あるのではないかと私は感じていますが、それは今後の研究課題です。

 

 

 

 

 

 

 

 

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