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歴史と言うものは、良く川の流れにたとえられます。

歴史は時の流れです。

そして出来事はその流れを一時断ち切ってその断面の事象を取り上げるものです。

その事象には、それに至るまでの流れが当然あるわけですが、それを何処まで遡るかが問題です。

良く学生が歴史は面白くないと感じるのは、出来事だけをぶつぶつと断ち切って、流れを教えられない、あるいは勉強しないから味気ないものとなるのですが、切れ目のない流れを遡るのは、これはまた、大変な作業ですし、どこまで遡ればいいかがむづかしいです。

そいうわけで、事象の背景を説明しようとすれば、どんどん遡らなければいけないし、繰り返しが多くなります。ここまでは言い訳です。

何が言いたいかと言えば、井上内親王の話です。

で、その井上内親王はどういう人かと言う前に、どうしても光明皇后に触れなければなりません。

また話が少し戻ります。

白壁皇が即位した背景に持統天皇の血筋があると言う話をしました。

そしてそればかりでなく、藤原氏の血も関係すると言う話です。

とりあえず、聖武天皇は後継者の話になります。

娘の安部内親王を皇太子に立てました。女性の独身の皇太子は異例のことです。

独身女性を皇太子にたてた時点で、その後継者が生まれる可能性は絶たれます。

井上内親王は光明皇后の1歳下で、母親は県犬飼広刀自と言う人です。

で、光明皇后は、父親はあの藤原不比等です。母は橘三千代。

その光明皇后と言うより、安宿姫が聖武天皇の妃になる時に話が戻ります。

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場所は、国際奈良学セミナーハウス。題は「山辺・磯城の巨大前方後円墳の語るもの」
講師は奈良県立橿原考古学研究所付属博物館学芸課長の今尾文昭氏。
箸墓古墳の立ち入り調査の報告と言うことで聞きに行く気になりましたが、前にアカダマ会で松田先生から聞いた話から、そう変わりなく、あまり収穫はありませんでした。
今まで店をやっていてこういう催しが新聞に乗っているたびに、行きたいなと思いつつ果たせなかったことが自由にできるのはありがたいですが、いざ聞きに行くと満足感を得られることはそうありません。
質疑の時間もとってあるということでしたが、一人で独占できるわけでなく、ほかの方の質問も、正直どうかなと思うことが多く、アカダマ会の皆のレベルの高さが改めて実感できました。
およそ質疑も、参考にできるようなことを聞いてもらえないと、時間がかかるだけでもったいない感じがします。
やはり小規模で、聞く人の知識レベルもある程度そろっていることが大切だと言うことを感じました。
次回のアカダマ会が一層待ち遠しい感じです。
今度は関東の方が、わざわざ関東から泊りがけで来ていただくとのことで、一層充実した会にしなければと、いささかプレッシャーを感じます。
今日は奈良市の中部公民館へ同志社大学元教授の辰巳和弘氏の講演を聞きに行きました、
タイトルは「風土記と考古学」
こうやって好きな時に講演を聞きにける自由をやっと手に入れましたが、これも今まで行けなかったから一層ありがたみがわかります。
土曜日にはもう一つ講演の予定があります。
最近になっていろいろ講演を聞く聞く機会が増えましたが、やはり本を読むほうがいいかなとはおもいます。
講演では今一つ隔靴掻痒気味。
出雲の国風土記も読まなければ、と言うのが今日の感想。

今書きかけの小論文のヒントが一つ得られたのも収穫です。
しかし、聞きに行く人は相変わらずと言うか、同年輩ばかり。これもご時世ですね。でも変な趣味よりはいいかも。

苦心惨憺して何とか持統天皇、聖武天皇の血筋を守ろうとして考えられた白壁王の即位でしたが、演じるは、人格を持った人間。
将棋の駒とは違って感情を持っています。

なんと白壁王は井上皇后を廃します。そればかりでなく、皇太子である他戸親王も同時に廃すると言う挙に出ました。

そして、この2人はおそらく暗殺されてしまいます。

そして皇太子は、持統天皇と聖武天皇に何のゆかりもないばかりでなく、渡来人腹の山部親王、後の桓武天皇。平安時代の始まりへと移ってゆきます。

 

どうしてこういうことになったのでしょう?

言いわけですが、なにせこのブログを書くに当たっては、いろんな本を読みつつ、考察し、そしてその他の原稿も書きながらで、どんどん書けません。

この続きはまたしばらく時間をいただきます

もうお分かりのように、従来のステレオタイプの奈良時代は天武系、平安時代は天智系と言う単純な見方では収まらずに、白壁王の即位の意味は、天智の血脈のためというより、奈良時代を通じて脈々と保たれた持統の血脈を維持するための苦心の結果と言う面が見えてきます。

もちろん白壁王は天智天皇の孫でありそれだけで十分資格があるわけですから、

即位の条件として結婚があったわけではありません。

いやそれ以前にすでに、聖武天皇の子である井上内親王を妻としています。

しかも2人の間にはすでに持統天皇ー聖武天皇―他戸親王という正当な皇子が存在します。

まさに白壁王の即位によってすべてのパズルが見事に埋まるわけです。

ところが、これだけの仕事を成し遂げた人物が私にはまだ見えません。

もちろん犯人探しの常套手段としてだれが一番得をするか?

ということで行けば、藤原氏のだれかということになるのですが・・・

どうも適当な人物が浮かび上がりません。ここのところは目下調査中です。お教えいただければ幸いです。

ところで、このはなしはこれでおわりではありません。

大どんでん返しがあります。

 

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