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神社というものについて、少しづつわかってきた気がします。

日本古来というか、大昔(ほんとに漠然と)は神様には、名前がありませんでした。

山であったり、岩であったり、水、海そしてもちろん祖霊もたぶん神様だったようです。

そしてその神様をお祭りする、その場所が「やしろ」であったり「みや」だったりです。

神様を、お祀りする場所が神社、もちろん建物は有りません。

その神様は、固有名詞を持たない要するに神様。

そこへ記紀神話が登場します。

そこには神様に名前がつけられています。

記紀神話が登場した時は、ヤマト王権が確立して地方まで、その枠組みに入った時です。

地方の豪族は、記紀神話に登場する神さんのだれかを、自分たちの祖先に結び付けます。

そして本来、名前もない地の神様にその名前をつけ始めます。

鹿島の地の神様で、本来、石だったり、沼だったり、酒造りだった神様、鹿島の大神に、名前が付けられます。

武甕槌神、この場合、つけたのは地元の人ではなく、中央からやってきた人でしょう。

東国征伐に、武甕槌神の威力を借りたかったからです。

そして征服した土地に、鹿島の神の社を建てていきます。

こういったことが、各地であったのでしょう。

そして本来、山や、石をお祭りしていた場合には殿社は必要なかったのですが、首長たちの屋敷のような建物を神社として作り始めます。そこには仏教の影響もあったでしょう。でも建物は日本古来の建物です。

山が神体だったら、山の下でお祭りをする場所に、社を建てます。

後世にはその神聖な山に入ってその上にまで社を建てます。

しかしまだ、神道などというものはありません。

けがれ、祓と言うのはもう少し後でしょう。死者をけがれとはまだ感じていません。

だから、時には死者を祀った古墳の上に神社があります。

おそらく古来の祖霊信仰の名残でしょう。

柳田邦夫によれば祖霊を迎え共食することが、御もてなし。お祭りです。

霊はいつも身近にいて、お祭りすればやってきて、接待を受けてまた却って行きます。

お盆の行事はその名残です。

神社でも、お祭りは、神様に食事をささげお酒を供えもてなしすることが祀ることです。

だか神社にとっては、建物にどんな神様がいるかより、お祭りすることが1番重要なことなのです。

速い話、今の神社の御本体は永い年月のあいだに変わっていきます。でもお祭りすることは続いた行事です。

だから神社を知るには、お祭りを重視しなければいけません。

まあ、ザックとした話ですが、私の神社の理解はこんなところです。

 

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相変わらず卒論です。

今日は、なまじ何時でも行けると思い、そのままになっていた枚岡神社へ行ってきました。

御承知のように、枚岡神社は元春日とも呼ばれ、河内一の宮でもあり、春日に勧請された天児屋根命、比売神が本来の祭神です。

御由緒は神武天皇東征のみぎりに、この二神を本殿背後の霊地、神津嶽に祀られたのが始まりとされ、その後孝徳天皇白雉元年(六五〇年)に中臣氏である、枚岡連等により現在の場所に奉遷されたとあります。

中臣氏の氏神です。そしてこの神社の存在が、中臣氏の出自を河内とする大きな決め手の一つです。

そして春日には、中臣氏の氏神であるこの枚岡神社の二神が勧請され、鹿島、香取から二神、合わせて四柱の神が祀られています。

春日では社殿は南面し、むかって右から(東から)武甕槌神、経津主神、天児屋根命、比売神の順に祀られていますが、枚岡神社では、社殿は西向し、むかって右(南から)比売神、天児屋根命、経津主命、武甕槌命の順に祀られています。 

一応卒論の提出までには、参拝だけはしておきたかったので、 今日は念願がかないました。宮司さんにもお目のかかり、二時間近く話し込んでしまました。

本殿も案内していただいたのですが、宮司さんが一緒では、さすがに写真を撮るのははばかられ、  写真は入り口だけとなりました。

本殿はかっては、水の中に立っていたと説明を受けました。

鹿島神宮でも常陸風土記によれば、本来の祭神の一つは沼の神であり、水にゆかりがあります。

やはり古来からの神社は、水、であり山であり、またこの枚岡神社には樹齢2600年と称される柏の古木があり、こういった神の依代が必ずあることを実感しました。  

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第22回の全国かるた競技奈良大会が今月11月23日(金・祝)に奈良市の元興寺の禅室で開催されます。

毎年開催されて今年で22回ですが、元興寺で開かれるのは今年で2回目です。

なんといっても世界遺産であり、国宝建造物の禅室で開催される奈良大会は、数ある大会の中でも特別なものであり、他に類を見ない大会です。

参加者はA級選手のみで、A級というのは、かるたの4段以上の選手です。

競技かるたの真の実力者だけの大会です。

そして参加者は、全員和装を義務づけられており、その点でも他の大会とは1線を画しています。

と言うわけで、この機会に競技かるたの真剣勝負を見たいと思われる方は、見学されたらいかがでしょうか。

ただ会場の都合でいくらでもとはいきませんし、観戦上のマナー(静粛に)は守っていただかなければなりません。

競技は9時半から開会式の後、開始され、参加者数にもよりますが、決勝まで5,6試合行われ、夕刻までかかります。

 

なお、ついでと言っては何ですが、来年近江神宮で行われる、名人戦は前名人の西郷永世名人が出場を辞退すると言うことがあり、新しい微塵が誕生します。

クイーン戦は、現クイーンの楠木永世クイーンが中学3年姓から守り続けているクイーンの座を守ることができるかが焦点です。

名人位決定戦

東日本代表・千代間大和(早稲田大学かるた会)VS 西日本代表・岸田諭(篠山かるた協会)

 

クイーン位決定戦

楠木早紀 クイーン(大分県かるた協会)VS 本多未佳(石川県かるた協会)

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昨年の大会の写真です。

 

卒論の草稿が返却されてきました。

結果はこのまま進めてよろしいということです。

これで、とりあえず一安心です。

後は最終提出の1月上旬に向けて、修正点を手直ししていくだけです。

講評としては「全体的に、よく調べてあり、おおよそこのような形のまま、清書に入って構わないと判断します」

その上で指摘点として、史料の出典、史料の成立年代、史料の本文引用などいくつかあげてありました。

これは、すぐに直せることですが、1番の結論の鹿島と中臣氏の関係で、もう少し先行研究を調べるようにと言うことでしたが、これが難問です。

先行研究は今までしらべたところではありません。

だからこそ、1番苦労したところなのですが、ここをもう少し調べろと言うのは、かなり難しい要求で、ちょっと困っています。

そういうことで、これからまた1カ月、卒論の仕上げにかかりきりとなり、それ以外のことを勉強している余裕はなくなりました。

でも、ぎゃくに、これでまた集中して勉強できます。

残り少ない学生生活を充実させることにします。

春日大社の前史を調べていて、御葢山から神奈備山、そして古代の神へと進み、うっかり入ってはいけない深い森に足を踏み入れてしまったようです。

古代の神々は、民俗学の分野でであり、宗教学の分野です。

この分野には生半可な知識で踏み入ることは危険なようですので早々に撤収しますが、一応の整理はしておきます。

原初の神は非人格的、非意志的なものであり、タマとよばれるようなものです。

もちろん人間にもタマはあります。ことばであれば言霊(コトダマ)と呼ばれます。

浮遊し、いたるところに満ち満ち、モノについたり離れたりしますが姿は見せない存在。

まさにサルトルの「存在と無」の世界。認識すれば存在し、認識できなければ存在しません。

森羅万象がアニマ(霊魂)を持ち、植物も岩石も言葉を話し、夜は炎のようにざわめき立ち、昼はサバエ(稲の害虫であるウンカ)が沸くように沸騰する世界。

そしてそれらの神は善意に満ちているわけではありません。世界のいたるところに存在し、人間と同じように喜怒哀楽の感情をあらわにし、生き生きとうごめきます。

その様子を『日本書紀』では

 「葦原中国は、磐根、木株、草場も、猶能く言語ふ。夜は熛火の若に喧響ひ、昼は五月蠅如す沸き騰る。」

「出雲国造神賀詞」では

 「豊葦原の水穂の国は、昼は五月蠅なす水沸き、夜は火瓮なす光く神あり、石根、木立、青水沫も事問ひて荒ぶる国なり。」

世界は異風、異俗の神がわがもの顔に横行し、跳梁する世界。人間の力を超えた神の世界が存在しました。

原初そのような神々が世界に満ち満ちているところに、人間と言う小動物が小賢しい知恵を持って生れてきます。

最初は人々はひたすら神を畏れ、敬い、お祀りをしました。

そして世界共通ですが、自然の象徴として、生命の源、不死と再生、万物を照らす太陽を神とあがめます。

太陽はまさに神であり、名前など必要ありません。太陽だから神なのです。

やがて恐れ多くも、その神々を自分たちの都合のいい神、自分たちを守ってくれる神、願いを聞き入れる神と、そうでない神と、勝手に仕分けを始めます。

そして太陽と言う神に、名前をつけます。

日本では天照大神。エジプトであればラー。ギリシャであればアポロン。

そこで止めればいいのに、その上に唯一神、すべての創造主を作り出した民族もあります。

所詮人間の浅はかな知恵で作り出した神。本来なら人間を守ってくれる神が、その神ゆえに他民族にたいして殺戮を引き起こしているのが現状ですが、これ以上は書きますまい。

話を日本の歴史に戻します。

日本でも一神教ではありませんが、同じようなことが起こります。神々の仕分けが行われるのです。

葦原中国を支配する神の交代が行われます。

『日本書紀』神代下

 「然も彼の地に、多に蛍火の光く神、及び蠅声す邪しき神有り。復草木或くに能く言語有り。

  故、高皇産霊尊、八十諸神を召して集へて、問ひて曰く、「吾、葦原中国の邪しき鬼を撥ひ平らけしむと欲ふ。・・・・」

このように、先住の神を「邪しき鬼」呼ばわりし、「二の神遂に邪神及び草木石の類を誅ひて皆已に平けぬ。其の不服はぬ者は、惟星の神香香背男のみ。」

「邪神及び草木石の類」は神であったのに、不服従の故をもって誅戮の対象とされ、天つ神による国つ神の平定が語られる。

ここで言う二神こそ、香取の経津主神と鹿島の武甕槌神です。

荒ぶる神、岩根、樹木、草の葉も言語うことをやめさせられます。国つ神の零落です。

このようにして天つ神が国つ神にとって代わり、神々も律令体制に組み込まれて行き、神々にも自分らの祖先神をあてはめて名前をつけていきます。

山や石や水など自然そのものを対象としての信仰は、姿を消し、神社が生まれます。

実際はもっと深いというか、簡単ではないかもしれませんが簡単に整理するとこんな感じでしょうか。

そして記紀神話が始まります。というか作られて行きます。

 

 

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