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今日は2回目となる、ソムリエの有志による勉強会をアカダマで行いました。

参加者は11名で、ちょうど良い人数でした。

今回は、一応崇神から応神までということで、話が進みました。

記紀の内容について、

 1反映論

 2モデル論

という考え方があって、要するに、なんらかの歴史的事実の反映か、今(記紀が書かれt時代)の人物の行動をモデルにして、過去の人物の行動に仮託したという二通りの考え方があるということです。

反映論は直木考次郎氏、モデル論は上山春平氏が代表です。

たとえば、垂仁期のホムチワケはやはり口がきけなかった天智天皇の皇子タケルの皇子、神功皇后は斉明天皇をモデルにしたもの。

反映論は、熊襲の話は、実際にあった事実の記事ということである。

熊襲の話は、景行天皇、ヤマトタケル、仲哀天皇と繰り返し出てくるが、これは、南九州にいた勢力との戦いの実話である。

この南九州の勢力と言うのが、邪馬台国かもしれない。

逆にこの戦いで破れた北部九州の勢力が神武東征のモデルである可能性も。

以上のような内容で、きょうも1時間の話、1時間の質疑応答と中身の濃い内容でした。

何といっても一方的な講演会でなく、研究者と膝を交えて話し合えるのが醍醐味で、実に楽しいです。

今回も、かねて疑問に思っていた、輸送力としての船の大きさについて、現在考古学上で確認された大きさについて教えていただけたのは、大変参考になりました。

関東の4,45世紀の勢力についても参考になる答えをいただけました。


 

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春日と言う地名が文献に登場する最初は、開化天皇の春日の率川宮という記述です。

開化天皇は所謂欠史8代と言われる第9代天皇、その実在は不明。

その宮は現在の率川神社のある場所ともいわれています。

この春日の地に勢力があったのは和邇氏です。

和邇氏は、さきほどの開化、応神、反正、雄略、仁賢、継体といった歴代王者に妃を送りこんでいます。

そしてその和邇氏の娘が生んだ皇子や王女には春日という名前がついた人が多くいます。

その春日という名前が示す場所は今より広範囲で、天理辺りまで含んでいます。

今も和邇下神社という神社が天理市櫟本に鎮座しています。

だから春日の地域は所謂春日山山麓の春日野台地から、古市さらに櫟本まで広がります。

もちろん春日野台地だけを指す場合もあります。

ところで、春日と書いてなぜカスガと読むのか?

有る説では春日(はるひ)は霞むから春日にかかる枕詞になったと、また霞は春の代名詞で霞んで見える山、霞山から春日山になったと言います。

それはよくわかりませんが、要するに、カスガは枕詞として春日(はるひ)のカスガといわれ、そこからトブトリのあすかからアスカが飛鳥と書くように、春日のカスガからカスガが春日と書かれるようになったらしいです。

さてこの春日野では春日神社ができるはるか前から神事が行われていました。

遣唐使の派遣に際して春日野で神祭りをしていた記事が続日本紀に「遣唐使天神神祇を春日山の下に拝す」とか「遣唐使神祇を葢山の南に祀る」とあります。

百人一首で有名な阿倍仲麻呂の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」という歌も、単に望郷の歌だけでなく、三笠の山の麓で祀ってきた神に帰国の旅路の平安を祈った歌と解釈されます。

これは春日野で神祇がおこなわれたことを示していますが、春日社ができる前に社があったらしいことも万葉集の歌からわかります。

「ちはやぶる 神の社の 無かりせば 春日の野辺に 栗まかましを」

「春日野に 栗蒔けりせば 鹿待ちに 継ぎて行かましを 社し留むる」

この社が、どんな神をだれが祀っていたのかは確認できませんが、いずれにしろ地元の人が、春日野で神を祀っていたことは事実です。

ここまでが春日社成立までの春日野の歴史です。

ついで、春日社成立をしらべるまでに中臣しについて調べてみようと思います。

 

表記の件でコメントをいただきましたので、言葉が足りなかったので、少し書いておきます。

私は昨年4月に、奈良大学の通信制の3年次に編入いたしました。

通信の単位要件は、テキスト科目とスクーリング、それと卒業論文で成り立っています。

卒業論文は、私が目下取り組んで悪戦苦闘中ですが、スクーリングはすべて2単位で、出席さえすれば、単位がもらえます。

テキスト科目は、与えられたテキストに基づいてレポートを提出し、それが合格すれば試験を受けることができ、試験に合格してはじめて単位がもらえます。

だから、出席すれば単位がもらえるスクーリングより、通信生はテキスト科目で苦労しています。

昨年まで、店をやっていた関係でスクーリング科目は私は受講できませんでした(金、土、日の3日連続開催)。

そこで、昨年はひたすらテキスト科目に集中しました。

レポートの作成、試験どちらも苦労はしましたが、とにかく自分一人で家で学習するわけですから、なにをどうやって進めていけばいいのか、皆目わかりません。

質問票というのがあって、送れば答えていただけるようですが、具体的に質問する内容ではなく、漠然と進め方がわからなかったというのが実情でした。

先月5月末に、史料学概論、言語伝承論の2科目の試験を受けましたが、これで一応テキスト科目はすべて終了のはずです。(60点以上もらえればです)

そこで、今回これから試験を受けられる方の参考になればと思って、恥ずかしながら私の答案例をアップしました。

ですから、あくまでもこういう書き方もありますよという、サンプルで、正答例ではありません。

私のつたない解答を、批判検討する材料にして勉強を進めてもらえればと言うことです。

現役生には失礼ですが、通信制は勉強をしたいと思って入学された方ばかりです。

私の答案例はあくまで、こういう書き方もありますよ、という参考にして自分で考えて、勉強を進めてください。

その中で、もしわからないことができたら遠慮せずに聞いていただけたらと思います。

もちろん、ただの先輩としてですから、必ずしも満足いく答えを出せないかもしれません。

それでは、奈良大学の通信制の皆さん、どうか勉強を楽しんでください。

今日再度大学へ行って、担当教授に面会の上卒論のテーマについて相談してきました。

そして前回書いた内容で、進めて良いとの回答を得ました。

これで前へ進むことができます。

卒論を書く前の段階でつまずくとはよもや思っていませんでしたので、ずいぶん混乱しました。

でも、結果オーライとなるようこれから頑張ります。

今日は大学で、本を借りてきました。

まだすべて読んではいませんが、ずいぶん参考になる本です。

おいおいまた、書きこんでいきます。

その後も、鹿島と、春日の関係について、いろいろ本を調べてみました。

確かに、史料がありません。先行論文も見当たりません。

これでは、せいぜい10枚ぐらいしか書けないかもしれません。

もちろん、無理やり枚数を増やすことはできるかもしれませんが、それではあまり意味がなさそうです。

そこで、教授の提案通り、テーマを大きくとって、その中で触れる方向にしようかと考えるに至りました。

テーマは「春日社成立の諸問題」

この線で、計画書を再提出しようかと考えています。内容は以下の通りです。

中臣氏については『日本書紀』で遠祖は天児屋根命であると書かれている。神代のことはともかく、『尊卑分脈』が常盤大連について「始めて中臣連姓を賜う本は卜部なり」とあり、欽明朝に初めて賜姓されたとあるが、元来は河内の中小氏族であった中臣氏が6世紀前期の継体朝頃に大和に進出し、中臣部の伴造氏族として地歩を築いたと思われる。

奈良時代には中臣氏を名乗る複姓氏族は29氏に上るが、その多くは中臣氏の勢力下に入った地方豪族が中央の中臣氏の保護を求めるために中臣の支流氏族の形をとって複姓を称したものである。

中央の中臣氏については、いわゆる物部戦争により、物部方に与した中臣勝海らの中臣本流は没落し、傍流であった中臣御食子、国子らが台頭した。その御食子が鎌足の父である。

一方常陸にあっては、『日本書紀』の天智天皇10年(671)の条に常陸国から中臣部若子を貢上したことが見え、7世紀中頃には中臣部が置かれ中央との結びつきを強めていた。

『続日本紀』には天平18年(746)に常陸の鹿嶋郡中臣部二十烟と占部五烟に中臣鹿島連の氏姓を与え、宝亀十一(780)に鹿嶋神社の祝である中臣鹿島連大宗を正六位上から従五位下に叙したことなどが記され、常陸に中臣部があり、中臣鹿島連らが居住して鹿島社の祝になった者のあることは確かである。

また続日本紀によれば養老三年(719年)藤原宇合は常陸国守に任命されている。そして東国経営にあたるわけであるが、その際、鹿嶋に武の神として武甕槌命を勧請して祀ったことが、後の春日への勧請に繋がっていったとみなす説が中村英重氏によって提起されているのは注目される。

次に神護景雲2年に、春日社の創建されたこがどのような意味を持つかについて、考察を進めたい。

 

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