本格的にコーヒー店を開く時にお世話になったのが、一灯園の末広木魚と言う方でした。
父がどうして知り合ったのか知りませんが、店のいわゆるコンセプト的なことでいろいろアドバイスを頂いたようです。
そして、これも何故かは知りませんが、店にかける暖簾に、長谷川 伸さんの揮毫をいただきました。
「通るたんびに 良くなる店に 今日もほほえむ よそながら」
店の表にこの暖簾を掛け、扁額は東大寺の清水光照さんの筆になる「喫茶去」と言う言葉を掲げていました。
このたたずまいで、ここがコーヒー店であるとは誰も思わないと思われ、実際、喫茶去の茶という漢字だけを読んで、お茶漬けくださいという、お客さんが何人も来ました。
ただ1度来た人は忘れないと言うか、印象には残ったと思います。
コーヒー店としてはどうかと思いますが、たたずまいとしてはなかなか、凝った店作りでした。
閉店のお知らせをしてから、何人かの方が訪ねてくださいました。
コメントもいただきました。ありがとうございます。
アカダマが開店した当時、もちろん、コーヒーチエーン店などというものはありませんでした。
そして、アカダマは純喫茶といわれていました。
純というのは多分アルコールを出さないということと、甘党の店ではないということだと思います。
ことさら、そう言うほど、喫茶店が数少なかったからです。
そしてコーヒーの値段は開店当初で60円だったと記憶しています。
この60円という値段は、例えば市内循環あのバス賃は10円だったか20円。所謂、すうどんが50円ほどで、
そういった比較で言えば高級な飲み物だったといえるでしょう。
そして、コーヒーを口にしたことがある人も少なかった時代です。
だから客層も限られていました。
所謂、文化人といった人達でした。
もちろん父の時代です。
その当時はだからお客さんは、かなり知名人が多かった記憶があります。
学者や文化財関係、社寺の人。東京から来た旅行者などです。
その中でも日吉館の泊り客は大きな比重を占めていました。
このブログをごらん頂いている方に、先に報告申し上げます。
アカダマは昭和三年に奈良で2番目の薬局として東向通りで開業しました。
そして昭和29年にその中で始めてコーヒー店を併設しました。
そして昭和40年に現在の小西町に移転、平成2年からは2階で営業と変遷してきました。
そして今年平成二十三年薬局以来80余年、喫茶として60年近い歴史を閉じることにします。
とりあえずは三月いっぱいは従来どおりの営業。
そして4月からは、土、日、月と祭日のみの営業として、12月で完全閉店します。
長い間のご愛顧ありがとうございました。
残り1年よろしくお願いいたします。
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