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あくる日、詳しい情報がもたらされた。
一緒に行った人と、ジープを借りて、サーリプトンが、
始めて紅茶を植えた農園を見に行った帰りに、
運転を誤って谷へおちたということだ。
名前は大木規彦。
喫茶店の経営者と報道された。
その報道を見ても、まだ信じられなかった。
うそでしょう。
飛火野であったのが最後になるなんて。
あの時、帰ってきたら渡すものがあるって約束したのに。
お土産も頼んだのに。
そんなことありえない。約束を守らないはずがない。
駄々っ子のように、事実を打ち消していた。
その時、祐介から電話があった。
思わず祐介にうそでしょう?
そんなことないよねと必死で訴えた。
「僕だって信じられない。とにかく明日奈良へ行くから。」
「早く、お願い早く来て」
「わかった。朝1番で行くから」
電話を切ったあとでも、呆然としていた。
涙は出なかった。
心の中でまだ必死に打ち消していた。
あくる日駅まで迎えに行った。
ほんとなら、マスターの店で会うのに・・
朝から店の前まで行ってみたが、張り紙がそのままだった。
やはりマスターはもういないのだ。
だんだんと事実を受け入れる自分がいた。
「この前、マスターから電話を貰ったって言ったよね」
「うん、出発前に電話があったって言ってたね」
「これを頼まれたんだ」
「これは?」
「マスターの笛。実は前に雅楽で吹く笛を実際に見てみたいって、マスターにお願いしたことがあるんだ」
「そしたら、この笛を家から持ってきてくれて、
もういらないから上げるって言われたんだけど、
こんな高価なものを頂くわけには行かないから、
とりあえず、暫らくお借りするということで研究室に
保管してあったんだけど、この前の電話で、
奈美ちゃんに使ってもらうから、返してほしいと依頼されたんだ」
「帰ってきたら上げるものがあるって、おっしゃってたけど、これが・・」
「そうなんだ。おん祭に使ってほしいから、間に合うようにって」
「これを私が頂いていいのかな」
「もちろんだ。電話でこうもいわれた。」
「笛は吹いてこその笛、息を入れない笛はただの竹の筒にすぎない。
今度、奈美ちゃんがこの笛を吹いてくれたら、笛が笛としてよみがえる」ってね。
だから、どうかマスターの形見として受け取ってあげてくれ。そしてこの笛を吹くことが、マスターに対する最大の供養だと思う。」
「わかりました。ありがたくいただきます。
そして明日、おん祭で一生懸命吹かせてもらいます」
「うん、僕からもお願いする。」
 
17日おん祭の当日を迎えた。
もちろん、私の手には、マスターの形見の笛があった。
今日も初冬の奈良は、朝から冷え込んだが、その分、抜けるような青空が広がっていた。
昼間のお渡りの熱気が残るお旅所には、寒さにも関わらず多くの人が、芝舞台を取り囲んでいた。
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こればっかりは、祐介に相談しても解決できない。
こういう時はやっぱりマスターに相談してみよう。
ところが、店に行って驚いた。
当分の間休業という張り紙がしてあった。
一体どうしたんだろ?
何かあったんだろうか?
不安が湧き上がってきた。
どうしよ?
せっかくの、おん祭の音頭、でもこのままでは心配で
引き受けられない。
相談しようとしたマスターには、お店が休みで会えない。
やっぱりすぐに、人に頼ろうとした自分が悪いんだ。
練習しかない。
思い切り吹きたいから、何時もの飛火野まで行って
吹くことにした。
冬枯れの飛火野には人影はまばら。
鹿だけが草を食んでいる。
ここでならいくら吹いていても迷惑にならない。
そう言えばマスターに初めて会ったのもここだった。
もうあれから3年になる。
頭の中では色んな思いが駆け巡ったけど、
笛はひたすら吹き続けた。
こうして、高麗笛だけ練習してたらちゃんと鳴るのにな・・
ふと目を上げるとマスターがそこに立っていた。
あまりのタイミングに、びっくりした。
「そんなにびっくりせんでも、なんや化け物見た
みたいやん」
「だって・・、それより店お休みってどうしたんですか?
何にも聞いてなかったし、びっくりしました。」
「いや~ごめん、急に話が進んでな。
前から行きたいと思ってたスリランカに誘ってくれる
人がいて、この機会を逃したらあかんと思って、
急に決めたんや、明日出発で、準備もあるから
今日から休みにしたのや」
「そうなんですか・・急に休みやからなにかあったん
かって心配しました」
「わるいわるい。今暇な時期やし、思い切って行かんと
2度と行けへんかと思って。
そんで、あらかた準備も終わったし、暫らく日本を
離れるから、なんとなく大好きな飛火野をもう
1度散歩しとこと思って、それに、ひょっとして奈美ちゃんに会えるかもって、なんとなく思ったし」
「そうですか、嬉しい!!今日店に行ったんですよ。
ちょっと教えてもらおと思って」
「どうしたんや?」
「高麗笛、音が出ないんです」
「なんで?今聞いてたけど、ちゃんと出てるやん」
「それが、主笛吹いて続いて高麗吹いたら
でえへんのです」
「ふ~ん。ともかく吹いてみ」
 
「ちゃんとでてるやん」
「う~ん、どうしてかな?いっぱい主笛吹いた
後やったらでえへんのやけど・・」
「そしたら、主笛まず練習してみ、そや陵王吹いてみ」
「はい」
わたしも陵王は大好きな曲。思い切り吹いた。
「そしたら、納曾利や」
「あ、出ない。どうしてやろ」
「わかったで」
「え、原因わかったんですか?」
「大事にしすぎというか、高麗が出ない恐怖感があるから、歌口に当てるとき、今まで吹いてた感触を大事にしすぎて、主笛のまま唇を当てるからや」
「え、同じところやったらあかんの?」
「うん、ほんの少しやけど、大体笛の太さも、歌口の大きさも違うねんから、まったく同じではあかんねや」
「ほんの少し上、そう、そしてもうほんの少し唇をかぶせて」
「あ、出ます。ちゃんと出ます。ほんまやわ。
何でこんな簡単なことが気いつかへんかったんやろ」
「笛なんてそんなもんや、ほんの少しのことなんやけど、
自分では正しいと思てるから修正でけへんのやな」
「ありがとうございます。助かりました」
「うん、その感触忘れんようにしいや」
ちょっと笛かしてくれへんか?なんか笛を吹きとなった」
「はい、どうぞ。そういえばマスターの笛の音聞かせてもろたことないですね」
「そら、店では吹けへんしな」
しばらくマスターの吹く蘭陵王の笛の音に聞きほれた。
同じ笛から出てくる音とは信じられないぐらい音が違う。
こんなにも違うものなのか。
音量も音色の艶というか音の色というか、
全然自分の吹く音とは違う。
ほんとに圧倒された。
正直自分では随分うまくなった気がしていたが、
この音色を聞いた後では、恥ずかしい。
まだまだ練習しなくちゃ。
「いや~久しぶりに吹いたから頭がくらくらする、
そやけど、こういうとこで吹くと気持ち好いな。」
 
 
 
「マスター、前から聞きたかったんやけど、
どうしてやめはったんですか?あ、娘さんのことは
聞きました。
せやからっていうて、好きやったらやめることはないと
思うけど」
「そうか、聞いてたんか。そら雅楽のせいやない。
皆、自分が悪いんや。
せやけど、だからというて、原因の笛を吹く気には
長いことなれへんかった。
20年近い歳月が必要やったんやな~。
もちろん、今でも自分を許すことはでけへん。
でも、だからと言って雅楽まで否定することはないと
思えるようになったんは、奈美ちゃんのおかげや」
「え、わたしの?」
「初めて会ったんも、ここやったな~。
あの時笛を吹いてる奈美ちゃんを見たとき、
何故か娘が生まれ変わって笛を吹いてる気がしたんや。
そんなことありえへんとはわかってるけどな。
そやから、始めて会った時、いきなり声を掛けてしもて、
そんな自分にうろたえて、きついい方になってしもたんや」
「そうやったんですか」
「奈美ちゃん、ありがとう!奈美ちゃんに出会えてなんかふっきれた。そして笛も吹く気になれた。
ほんとに感謝してる。」
「感謝なんて、こちらこそありがとうございました。
マスターに出会えなかったら、ここまでこれなかったと思います」
「そや、笛、何時までもプラ管ではあかんな。
今聞いてたら随分うまくなったし、息も強くなってる、このままプラ管吹いてると、笛に吹き込む息の量がプラ管に合わしてしまうようになる」
「そうは思うけど、高すぎて手がでないんです」
「そうやな、学生が買うには高いもんな、そうや、
今度帰ってきたら渡すものがある。楽しみにしといて」
「え、なんですか?嬉しい!スリランカのお土産も頼みますね」
「よっしゃわかった、さ、もう行くは、明日は、早いんね」
「ほんとにありがとうございました。もう少し練習しときます」
「そうやな、おん祭、頑張ってな、僕はいけないけど」
「はい、頑張ります」
 
おん祭前の最後の総稽古がそれから2,3日してあった。
今日で最後の稽古だから本番にあわせて舞いも稽古が進んでいた。
一通り平舞が終わって、走り舞(一人舞い)の稽古に移った。
最初は蘭陵王。
その時思いもかけず、笹山さんから声がかかった。
「春野、おまえも一緒に舞ってみ」
「え、私が陵王をですか?」
「そや、大木さんから1度見てやってくれって頼まれてるねん、うん、横に並んだらいい」
まさか、まさか、私が陵王の稽古をつけてもらったのを笹山さんが知ってるなんて。
そして今、おん祭の稽古のときにその舞を見てもらえるなんて。
それを聞いたときに、心臓が早鐘のようになりだした。
のども一気にからから。
どうしよう、足ががくがく震えている。
容赦なく太鼓が鳴る。
でもこれがどれだけ重要なチャンスかということは良くわかる。
いまここで立派に舞い終えれば、認めてもらえる。
この機会を絶対無にしてはいけない。
それが大木さんに対する恩返しにもなる。
負けるもんか。
隣で舞う宮本さんに合わせて動き始める、
でも足の震えはなかなか収まらない。
でも、倒れたって好い。頑張る。
出る手、1帖、2帖と舞ううちにようやく足の震えは収まってきた。
冬だというのにもう顔は汗でびっしょり。
乙女としては気になるところだけど、今はかまってはいられない。
ようやく出る手が終わる。
ここで陵王音取。
ようやく一息つける。
次に当局。
胸のどきどきは収まり、足の震えもなくなった。
体が自然に動くようになった。
隣で舞う宮本さんもまったく気にならない。
ひたすら無心で舞い続ける。
気がつけば入る手。
終わった。2人で手を着いてお礼。
「う~ん、よう覚えたな。最初は硬くてどうなるかと思ったが、良く動けてた。うん、りっぱなもんや。ねえ楽頭」
「せやな、これやったら、機会があれば舞わせてもええな」
「ありがとうございます」
「よっしゃ、次いこうか」
次はいきなり私の音頭が回ってきた。
ほんとなら最後なんだけど、納曾利と落蹲は同じ曲だから、稽古も2つの舞を同時にやってしまう。
そこで、音頭は私。
休むまもなく、笛を吹かなければいけない。
でも、ラッキー。
もう大丈夫とは思うけど、主笛を吹かずに高麗笛なら失敗することはない。
小乱声を吹き出す。
舞をした後では緊張感は今はまったくない。
音もスムースにでた。
気持ちも余裕があったので、自分でもうまくふけた実感がある。
曲が終わっても、何も言われず次の散手に進んだ。
要するに問題ナシということだ。
良かった。
それよりも陵王の舞を認められた高揚感がまだ続いていた。
稽古が終わって帰り道、山中藍子が一緒だった。
「奈美、凄い、何時の間に陵王なんて、覚えたん?びっくりした」
「わたしもまさか今日舞えるなんて思ってへんかったけど、前に言ってた喫茶店のマスターに教えてもらってん」
「いいな~そんな人にめぐり合えて、まあ私が教えてもらってもおぼえられへんけどね,そう言えば奈美、院に行くって?」
「うん、東京へ行くことになってん」
「そうか、わたしは就職は大阪や、来年はもう会えへんね」
「そうやなね、藍子はいいよね、奈良にいてるから、雅楽続けられるし」
「そうやけど、わたしは続けるかどうかわからへん。
学生時代だけでいいかなて思ってる」
「もったいなんや、せっかくやってきたのに」
「なんか私にはあってないんかも、あんまり稽古も
熱心やなかったし、私が残って奈美が出て行くって
皆残念がってるよ」
「そうかな、せいせいしてるんちやう」
「そんなことないよ、佐藤君なんて1番がっかりよ」
「え~佐藤さん。まさか」
「気いつかへんかった?佐藤君、奈美ちゃんのこと好きなんよ」
「え~うっそ、それはほんまに気がつかんかった。
なんか結構いじわるやったけど、なんか小学生見たい。
でも残念でした、私はまったく気がないし」
「かわいそ、そうあっさりふられたら」
「私には東京に彼がいてるねん」
「やる~。それで東京か・・」
「それは違うよ、たまたま」
「まええけど、でもとにかくうらやましい、笛はうまいし、
舞もできるし、おまけに彼もいてるなんて、良すぎるわ」
なんておしゃべりしながら家に帰ってお風呂に入って、
家族と一緒にテレビのニュースを何気に見ていたら。
日本人がスリランカで事故死したというニュースが伝えられた。
え、スリランカ?
まさか??そんなことないよね。
名前もまだわかってないらしい。
今までの高揚した気分がいっぺんに冷めていった。
祐介にも電話したが、祐介にもまったく情報は入っていなかった。
ただスリランカ行く前に電話で話をしたとのことだった。
その夜は不安で寝れなかった。
 

 

こればっかりは、祐介に相談しても解決できない。
こういう時はやっぱりマスターに相談してみよう。
ところが、店に行って驚いた。
当分の間休業という張り紙がしてあった。
一体どうしたんだろ?
何かあったんだろうか?
不安が湧き上がってきた。
どうしよ?
せっかくの、おん祭の音頭、でもこのままでは心配で
引き受けられない。
相談しようとしたマスターには、お店が休みで会えない。
やっぱりすぐに、人に頼ろうとした自分が悪いんだ。
練習しかない。
思い切り吹きたいから、何時もの飛火野まで行って
吹くことにした。
冬枯れの飛火野には人影はまばら。
鹿だけが草を食んでいる。
ここでならいくら吹いていても迷惑にならない。
そう言えばマスターに初めて会ったのもここだった。
もうあれから3年になる。
頭の中では色んな思いが駆け巡ったけど、
笛はひたすら吹き続けた。
こうして、高麗笛だけ練習してたらちゃんと鳴るのにな・・
ふと目を上げるとマスターがそこに立っていた。
あまりのタイミングに、びっくりした。
「そんなにびっくりせんでも、なんや化け物見た
みたいやん」
「だって・・、それより店お休みってどうしたんですか?
何にも聞いてなかったし、びっくりしました。」
「いや~ごめん、急に話が進んでな。
前から行きたいと思ってたスリランカに誘ってくれる
人がいて、この機会を逃したらあかんと思って、
急に決めたんや、明日出発で、準備もあるから
今日から休みにしたのや」
「そうなんですか・・急に休みやからなにかあったん
かって心配しました」
「わるいわるい。今暇な時期やし、思い切って行かんと
2度と行けへんかと思って。
そんで、あらかた準備も終わったし、暫らく日本を
離れるから、なんとなく大好きな飛火野をもう
1度散歩しとこと思って、それに、ひょっとして奈美ちゃんに会えるかもって、なんとなく思ったし」
「そうですか、嬉しい!!今日店に行ったんですよ。
ちょっと教えてもらおと思って」
「どうしたんや?」
「高麗笛、音が出ないんです」
「なんで?今聞いてたけど、ちゃんと出てるやん」
「それが、主笛吹いて続いて高麗吹いたら
でえへんのです」
「ふ~ん。ともかく吹いてみ」
 
「ちゃんとでてるやん」
「う~ん、どうしてかな?いっぱい主笛吹いた
後やったらでえへんのやけど・・」
「そしたら、主笛まず練習してみ、そや陵王吹いてみ」
「はい」
わたしも陵王は大好きな曲。思い切り吹いた。
「そしたら、納曾利や」
「あ、出ない。どうしてやろ」
「わかったで」
「え、原因わかったんですか?」
「大事にしすぎというか、高麗が出ない恐怖感があるから、歌口に当てるとき、今まで吹いてた感触を大事にしすぎて、主笛のまま唇を当てるからや」
「え、同じところやったらあかんの?」
「うん、ほんの少しやけど、大体笛の太さも、歌口の大きさも違うねんから、まったく同じではあかんねや」
「ほんの少し上、そう、そしてもうほんの少し唇をかぶせて」
「あ、出ます。ちゃんと出ます。ほんまやわ。
何でこんな簡単なことが気いつかへんかったんやろ」
「笛なんてそんなもんや、ほんの少しのことなんやけど、
自分では正しいと思てるから修正でけへんのやな」
「ありがとうございます。助かりました」
「うん、その感触忘れんようにしいや」
ちょっと笛かしてくれへんか?なんか笛を吹きとなった」
「はい、どうぞ。そういえばマスターの笛の音聞かせてもろたことないですね」
「そら、店では吹けへんしな」
しばらくマスターの吹く蘭陵王の笛の音に聞きほれた。
同じ笛から出てくる音とは信じられないぐらい音が違う。
こんなにも違うものなのか。
音量も音色の艶というか音の色というか、
全然自分の吹く音とは違う。
ほんとに圧倒された。
正直自分では随分うまくなった気がしていたが、
この音色を聞いた後では、恥ずかしい。
まだまだ練習しなくちゃ。
「いや~久しぶりに吹いたから頭がくらくらする、
そやけど、こういうとこで吹くと気持ち好いな。」
 
 
 
「マスター、前から聞きたかったんやけど、
どうしてやめはったんですか?あ、娘さんのことは
聞きました。
せやからっていうて、好きやったらやめることはないと
思うけど」
「そうか、聞いてたんか。そら雅楽のせいやない。
皆、自分が悪いんや。
せやけど、だからというて、原因の笛を吹く気には
長いことなれへんかった。
20年近い歳月が必要やったんやな~。
もちろん、今でも自分を許すことはでけへん。
でも、だからと言って雅楽まで否定することはないと
思えるようになったんは、奈美ちゃんのおかげや」
「え、わたしの?」
「初めて会ったんも、ここやったな~。
あの時笛を吹いてる奈美ちゃんを見たとき、
何故か娘が生まれ変わって笛を吹いてる気がしたんや。
そんなことありえへんとはわかってるけどな。
そやから、始めて会った時、いきなり声を掛けてしもて、
そんな自分にうろたえて、きついい方になってしもたんや」
「そうやったんですか」
「奈美ちゃん、ありがとう!奈美ちゃんに出会えてなんかふっきれた。そして笛も吹く気になれた。
ほんとに感謝してる。」
「感謝なんて、こちらこそありがとうございました。
マスターに出会えなかったら、ここまでこれなかったと思います」
「そや、笛、何時までもプラ管ではあかんな。
今聞いてたら随分うまくなったし、息も強くなってる、このままプラ管吹いてると、笛に吹き込む息の量がプラ管に合わしてしまうようになる」
「そうは思うけど、高すぎて手がでないんです」
「そうやな、学生が買うには高いもんな、そうや、
今度帰ってきたら渡すものがある。楽しみにしといて」
「え、なんですか?嬉しい!スリランカのお土産も頼みますね」
「よっしゃわかった、さ、もう行くは、明日は、早いんね」
「ほんとにありがとうございました。もう少し練習しときます」
「そうやな、おん祭、頑張ってな、僕はいけないけど」
「はい、頑張ります」
 
おん祭前の最後の総稽古がそれから2,3日してあった。
今日で最後の稽古だから本番にあわせて舞いも稽古が進んでいた。
一通り平舞が終わって、走り舞(一人舞い)の稽古に移った。
最初は蘭陵王。
その時思いもかけず、笹山さんから声がかかった。
「春野、おまえも一緒に舞ってみ」
「え、私が陵王をですか?」
「そや、大木さんから1度見てやってくれって頼まれてるねん、うん、横に並んだらいい」
まさか、まさか、私が陵王の稽古をつけてもらったのを笹山さんが知ってるなんて。
そして今、おん祭の稽古のときにその舞を見てもらえるなんて。
それを聞いたときに、心臓が早鐘のようになりだした。
のども一気にからから。
どうしよう、足ががくがく震えている。
容赦なく太鼓が鳴る。
でもこれがどれだけ重要なチャンスかということは良くわかる。
いまここで立派に舞い終えれば、認めてもらえる。
この機会を絶対無にしてはいけない。
それが大木さんに対する恩返しにもなる。
負けるもんか。
隣で舞う宮本さんに合わせて動き始める、
でも足の震えはなかなか収まらない。
でも、倒れたって好い。頑張る。
出る手、1帖、2帖と舞ううちにようやく足の震えは収まってきた。
冬だというのにもう顔は汗でびっしょり。
乙女としては気になるところだけど、今はかまってはいられない。
ようやく出る手が終わる。
ここで陵王音取。
ようやく一息つける。
次に当局。
胸のどきどきは収まり、足の震えもなくなった。
体が自然に動くようになった。
隣で舞う宮本さんもまったく気にならない。
ひたすら無心で舞い続ける。
気がつけば入る手。
終わった。2人で手を着いてお礼。
「う~ん、よう覚えたな。最初は硬くてどうなるかと思ったが、良く動けてた。うん、りっぱなもんや。ねえ楽頭」
「せやな、これやったら、機会があれば舞わせてもええな」
「ありがとうございます」
「よっしゃ、次いこうか」
次はいきなり私の音頭が回ってきた。
ほんとなら最後なんだけど、納曾利と落蹲は同じ曲だから、稽古も2つの舞を同時にやってしまう。
そこで、音頭は私。
休むまもなく、笛を吹かなければいけない。
でも、ラッキー。
もう大丈夫とは思うけど、主笛を吹かずに高麗笛なら失敗することはない。
小乱声を吹き出す。
舞をした後では緊張感は今はまったくない。
音もスムースにでた。
気持ちも余裕があったので、自分でもうまくふけた実感がある。
曲が終わっても、何も言われず次の散手に進んだ。
要するに問題ナシということだ。
良かった。
それよりも陵王の舞を認められた高揚感がまだ続いていた。
稽古が終わって帰り道、山中藍子が一緒だった。
「奈美、凄い、何時の間に陵王なんて、覚えたん?びっくりした」
「わたしもまさか今日舞えるなんて思ってへんかったけど、前に言ってた喫茶店のマスターに教えてもらってん」
「いいな~そんな人にめぐり合えて、まあ私が教えてもらってもおぼえられへんけどね,そう言えば奈美、院に行くって?」
「うん、東京へ行くことになってん」
「そうか、わたしは就職は大阪や、来年はもう会えへんね」
「そうやなね、藍子はいいよね、奈良にいてるから、雅楽続けられるし」
「そうやけど、わたしは続けるかどうかわからへん。
学生時代だけでいいかなて思ってる」
「もったいなんや、せっかくやってきたのに」
「なんか私にはあってないんかも、あんまり稽古も
熱心やなかったし、私が残って奈美が出て行くって
皆残念がってるよ」
「そうかな、せいせいしてるんちやう」
「そんなことないよ、佐藤君なんて1番がっかりよ」
「え~佐藤さん。まさか」
「気いつかへんかった?佐藤君、奈美ちゃんのこと好きなんよ」
「え~うっそ、それはほんまに気がつかんかった。
なんか結構いじわるやったけど、なんか小学生見たい。
でも残念でした、私はまったく気がないし」
「かわいそ、そうあっさりふられたら」
「私には東京に彼がいてるねん」
「やる~。それで東京か・・」
「それは違うよ、たまたま」
「まええけど、でもとにかくうらやましい、笛はうまいし、
舞もできるし、おまけに彼もいてるなんて、良すぎるわ」
なんておしゃべりしながら家に帰ってお風呂に入って、
家族と一緒にテレビのニュースを何気に見ていたら。
日本人がスリランカで事故死したというニュースが伝えられた。
え、スリランカ?
まさか??そんなことないよね。
名前もまだわかってないらしい。
今までの高揚した気分がいっぺんに冷めていった。
祐介にも電話したが、祐介にもまったく情報は入っていなかった。
ただスリランカ行く前に電話で話をしたとのことだった。
その夜は不安で寝れなかった。
 

 

11月の演奏会は何時もの通りというか、鉦鼓を叩いた。
そして、一応、音頭として、演奏会の最後に演奏される長慶子という曲を任された。
3年目にして始めての音頭。
最後が近づくに連れて心臓がドキドキして困った。
でも、前から音の出が心配な高麗笛じゃないし、
舞楽の音頭ではないからその分随分気は楽だった。
来年からはこの演奏会にも、駆けつけるのは難しいだろうなと思うと、少し感慨が沸いてきた。
思えば、普通の女子大生で終わるはずだった私が雅楽にであって、ほんとに色んな経験をさせてもらった。
今こうして直垂を着て笛を吹いてること自体が、
考えてみると凄いこと。
頭の中で色んなことを考えながら吹いていたらあっという間に曲が終わってしまった。
ああ、もう少し吹いていたい。
間近にせまったおん祭では悔いのないよう、頑張ろう。
 
次の週の日曜日、おん祭のための稽古が始まった。
配役表が皆に配られた。
一人舞の舞人は例年というか、私が知っているこの3年間ではまったく変わらない。
4人舞いも一人、2人入れ替わりがあっただけでほぼ固定したメンバーだ。
期待していたわけではないけど、ひょっとしてなんて、甘い希望も持っていたけど、まあ無理。
管方の音頭も決められ書いてあった。
これも、多少は望みは持っていたが、前ほど、
切望しているわけではない。
どちらにしろ、今年でさい後のおん祭、全力で頑張ろうと、深く決意をしていた。
と、最後の最後、おん祭の1番最後の曲である落蹲の音頭に私の名前があった。
それを見たとき、喜びより驚きの方が多かった。
まさか、私が音頭を吹かせてもらえるなんて・・
それも、最後の曲。
一呼吸おくれて感激が沸きあがったきた。
素直に嬉しい。
でも、不安がよぎった。
高麗笛だ。
果たしてちゃんと音が出るだろうか?
依然として高麗笛の音は安定しない。
うまく出る時と、出ない時があって、それの原因がわからない。
もし、本番で音が出なかったらどうしよ。
喜びの後から、不安感の方が増してきた。
その日の稽古は、そのことばっかり考えていた。
そして、案の定というか、不安が現実となって、その日の稽古ではうまく音が出なかった。
あせればあせるほど音が掠れる。
結局音頭の部分はすーすーという音しか出なかった。
楽頭の安部さんには、怒られてしまった。
「おいおい、本番そんな音では困るで、ちゃんと練習しとくだぞ」
「はい、すみません、ちょっと緊張しすぎたようです。」
「ま、緊張するのは無理ないけど、本番は頼むぜ、そのままやったら、音頭代えるで」
「ハイ、頑張ります」
とは返事したけど、ほんとは緊張のせいじゃない。
ここんとこ何ヶ月もまともに音が出ない状態が続いてる。
でも、高麗だけを吹いてる時は大丈夫なんだけど、龍笛を暫らく吹いた後は、突然音が出ないことがある。
どうしよう、本番に音が出ないと皆に迷惑がかかる。
でもせっかくのチャンス、逃したくない。
 

 

東京から帰ったあくる日、早速マスターに報告に行った。
「そうか、良かったね。じゃ来年から東京か・・
もうあんまり会えなくなるな~」
「100%じゃないけど、多分大丈夫と思います。
もちろん今までのようには来れないけど、奈良に帰ったら必ず寄ります」
「そうやね、楽しみに待ってるよ。そうだ、前に大和舞を教えてほしいって言ってたけど
、どうや、蘭陵王を舞ってみるか?」
「え!蘭陵王?そりゃ舞いたいけど・・
私にできるかな?」
「もう平舞は全部覚えたんやろ?それやたったら資格は十分や」
「でもな、僕が教えたからって、正式に習うわけやないから、楽所で舞わせ貰うことにはならへんと思うけど、
それでも良いのやったら教えるけど」
「教えてほしいです!陵王を舞う、舞えるなんて夢見たい。私が始めて見た舞楽が蘭陵王。
言わば私を雅楽への道に誘ってくれた舞です」
「よし、わかった、そした早速今晩から練習しよか?いいか?」
「ハイ、お願いします、嬉しい!!」
日本舞踊みたいに雅楽には家元とか流派はない。
しかし、本当は家元制度の元は雅楽だったらしい。
それが明治になってすべて一般に開放されて今の形になり、お花とかお茶とか日舞とか、
雅楽をまねてできた家元制度が残る結果になったということだ。
だから、昔は一子相伝とか一時伝授とか、どの家はどの舞とか、かなり制約があったみたい。
今はすっかり、そんな制約はなくなったけどだからといって、そう簡単に教えてもらうわけではない。
だから、マスターに教えてもらえるなんて、夢のよう。
今のままだったら、多分一生教えてもらえずに終わってたと思う。
 
その晩から稽古が始まった。
陵王は、3部構成になっていて、最初に出る手、当曲、入る手と分かれる。
その出る手の中で、囀りといって、まったく無音というか、拍子の太鼓も鞨鼓もなく、舞だけが進む部分もある。
ともかく、その最初の出る手。
そう、私が始めて舞楽を見たときに、あの太鼓と鞨鼓のみで舞うところ。
太鼓が4拍子で、ドン、ドン、ドン、ドンとなる。
そこへ鞨鼓が重なるように打たれる。
ドン、テン、スッテンテンと聞こえる。
「ええか、舞には1300年を超える伝統がある。だから約束事、決まりがあるからその部分は決して崩したらあかん。だけど、余りにも型に拘ってもあかん。自分の個性をその中でも出すのや」
う~ん、なんとなく解るけど、今はまだ手を覚えるのに精一杯。
陵王をちゃんと舞えば30分はたっぷりかかる。
今出る手を舞うだけでも、もうくたくた。
太腿は、ぱんぱん、汗びっしょり。
だけど、楽しくってしかたない。
普通の舞楽は4人舞い。
だけどこの陵王は1人で、舞台の端から端へ駆け回る。
まさに舞台を独り占めする。
それだけに体力の消耗も半端じゃない。
若い私でもひいひい言ってるのに、マスターは、ほんとにしんどそう。
「マスター、大丈夫ですか?」
「なにが?舞の練習ぐらい大丈夫や」
「そうは見えないんだけどな~」
「何言うてるねん、ぐだぐだいわんと稽古や稽古、せやけど、奈美ちゃんも意外とスタミナあるな」
「そら、若いですもん」
「僕は年寄りてか」
「そんなこと言ってません」
「言うてるのといっしょや」
なんて言いながらも稽古を続けた。
家に帰ってからも、毎日稽古。
何度も何度も練習した。
この2年余り平舞の練習を続けてきたおかげで、舞固有の手は身についたので、
初めて舞を習った時とは全然違う。
複雑な舞の手も自然とできるようになった。
2ヶ月たっぷり練習して大体覚えることができた。
「さあ、もうすぐおん祭も始まるし、今日で練習も終わりにしようか、この面をつけて今日は通して舞ってみなさい」
「え~この、しずかちゃんのプラスチックの面をつけるんですか?」
「そや、やっぱり面を実際につけて見んと感覚がわからへんから」
「それにしても、もうちょっとらしい面なかったんですか?」
「贅沢言いな、意外と面を売ってなくて、これしかなかったんや」
実際、面をつけて舞うとものすごく視野が狭まかった。
足元なんか、まるで見えない。
確かに面をつけての練習は必要だ。
「よっしゃ、よう覚えたな。ご苦労さん」
「ありがとうございました。まだまだ教えてもらいたいですけど、これからも毎日家で練習します。解らないところがあったら、また教えてください」
「うん、後は場数をこなしたらいいんやけど、それが難しいな」
こうして、陵王の舞を教えてもらった。
東京へ行っても忘れないように練習しなくちゃ。

本番で舞うことはないかも知れにけど、私にとっては得がたい経験と財産になった。

 

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