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ほんの30分ほどだったけど、聞きたいことは皆聞けた。
それに、なんたって祐介がいてくれるから、
何の心配もない。
よ~し、目標は決まった。頑張るぞ!!
その後、祐介からいろいろ教えてもらって、
東京駅まで送ってもらった。
今日は日帰り、急いで帰らないといけないけど、
来年は絶対東京へ来る。
その時まで楽しみはお預け。
 
大学受験では、勉強はしたけど、
どちらかと言えば嫌々。
でも今度は違う。
目的も自分で選んだことだし、
期間も限られているから雑念なんか入る余地もなく
必死で勉強をした。
今までの人生で1番集中して勉強できたかも。
でも、雅楽の練習は欠かさなかった。
むしろ運動不足の解消、ストレスの発散に必須とも
いえる。
これがあるから逆に勉強ができる感じ。
それに来年は奈良にいないんだし、という気持ちもあった。
こうして気持ちを入れて練習していると、今まで見えて
こなかったも解ってきた。
特に他の楽器の音が今までより耳に入るようになって
きたのが大きな収穫だった。
同じメロディーを吹いていても篳篥と笛では、
ずれる部分がある。
その場所がすっかり頭にはってきたし,
笙の音も良くわかってきた。
自分で言うのもなんだけど、一段とステップを上がった
気がする。
最近練習で太鼓も打たしてもらえるようになった。
舞楽の太鼓はただリズムを刻むだけでなく、
舞をよく見て、舞人と気持ちをあわせなければ、
舞いにくい。
逆に太鼓を打つことによって、舞のためにもいい練習
になる。
こんなわけで、ほんとの勉強も忙しいし、雅楽の勉強
も忙しい。
でも苦になるどころか楽しい充実した日々だった。
試験は9月の中旬。
7,8,9とあっという間に日が過ぎて行った。
いよいよ試験の日。
東京もあれから何度か来たので、もう迷うようなことはない。
といっても駅から学校までの間だけだけど。
学部全体の試験会場なので、意外と人がいた。
こうしてみると、皆ものすごく賢そうに見える。
ちょっと不安になってきたが、いやいや私は十分に
勉強してきたんだ。
負けるわけには行かない。
準備期間は短かったけど、全力で取り組んだ充実感は
過去の受験勉強とは比べ物にならない。
午前中は語学だった。
もともと英語は得意、手ごたえも十分だった。
午後からは論文。
書きながら、今こうしている自分を不思議な気持ちで
見ているもう一人の自分がいた。
3年前、雅楽に出あわなかったら、多分今の自分は
いなかっただろう。
なにか、神様のお導きかもしれないという気持ちになる。
あのまま、何の考えもなく4年間の大学生活をのんびり
すごしていたらと思うと、ぞっとする。
今の私には目標がしっかりとある。
日本の音楽、伝統を私の後の世代にしっかりと伝える
橋頭堡になる。
そして、しっかりとした知識を持って外国にも語りかけら
れるようになりたい。
論文を書き上げた後、しばらく動けないほど集中していた。
終わった。
教室を出ると、祐介が笑顔で迎えてくれた。
その顔を見ると何故か涙が出てきた。
「どうしたの?うまくいかなかった?」
「ううん、どうして私泣いてるんだろ?
わたし、頑張ったよ、祐介の顔をみたらなんかほっとしちゃった」
「そう、とにかく良く頑張ったね。疲れただろ。
お茶でも飲もうか」
「うん、そういえばお腹もすいてきた」
その後で飲んだコーヒーのおいしかったこと。
疲れが取れるようだった。
 
 
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もう4月だというのに、私の就活はまったく見通しも
たたなかった。
ようやく面接までこぎつけた企業もあったが、
自分で本当のところ、何をやりたいのか迷いがあるから、志望動機にしても、通り一遍のことしか言えないし、
それが相手にも伝わるから、
落とされるのは自分が悪いってわかってる。
「あなたの答えはマニュアルどおりと違うの、
もうちょっと自分をアピールできることはないのかな」
「当社に何故入りたいのか、もっと明確にってくれなきゃ、もうちょっと積極的にアピールしてくださいよ」
とか言われて、落ち込んで、ほんと私は何処へ行って、
なにをしたいんだろ?
こんなんでは、相手の気に入るような答えを言えない。
就活は嫌な事ばっかりだけど、ただ1つ、
自分をもう一度見つめなおすきっかけにはなった。
そんなさきの見えない就活の救いは、
祐介とのメールと雅楽だった。
笛を思い切り吹けば、その時は頭の中の嫌な事は霧散してしまう。
だから、就活中も稽古は欠かしたことはなかった。
ほんとに打ち込めることがあって幸せ。
笛を吹いて一生暮らせたらなんて考えてしまう。
5月の演奏会が近づいたけど、稽古はできるけど、
予定がたたないから、今度は自分で申し出て、
役ははずしてもらった。
もっとも、言わなくても何も役はなかったかもしれないけど。
稽古は熱心に出てたから、舞も随分沢山の曲を練習した。
演奏会には出れないけど、舞の練習も気分転換にはもってこい。
やっぱ、体を動かすのは良い。
その間はほんとに舞のことしか考えていない。
そして、もう舞台に上がれないとか、出番がないなんてことは気にならなくなった。
こうして、打ち込めることを持っていることが、素晴らしいことなんだとわかった。
今日も舞の稽古をしてる時に、笹山さんが
「春野、ほんまによう覚えてるな、いま若手の中では舞をやらせたら1番やろ」
なんて,珍しく褒めてくれた。
「惜しいな、5日出れたら舞立ちしてもらおうと思ってたんやけど」
え~、今それを言うかって感じ。
でも素直に嬉しい。
「ほんまですか?男の中に?」
「そんなん関係ないは、ちゃんと舞えるかどうかが問題や、春野、もう左舞ほとんど全部マスターしたな、後は経験だけや」
嬉しい。ちゃんと解ってくれてるんだ。
その言葉だけで十分、ものすごく力がわいてきた。よし!!明日の面接頑張るぞ。
 
 
「あなたの大学生活でアピールできることはなんですか?」
「はい。奈良で学生生活を送って最大の収穫は雅楽のめぐり合えたことです」
「雅楽を通じて、日本の伝統文化に眼を向けることができましたし、奈良の伝統行事にも実際に関われることができました。これは私にとって大きな誇りです」
「ほう、雅楽ね~それは確かに奈良らしいね。
じゃ、その経験はを社会人になって、どう生かせると思うかな?」
「最近は海外との関わりを避けて通ることはできないと思います。
そう行った中で、真のグロバリゼーションは、逆に日本を、日本文化を良く知ることが前提と思います。
その意味でも私の経験は必ず実社会で役に立つと確信しております」
「なるほど、あなたは日本文化について良く学んだということだね」
「あ、はい、もちろん、まだまだ勉強不足だとは思いますが・・・」
「まだ勉強しないと、と言うことだね」
「はい、もっともっと勉強はしなければとは思っています」
「それじゃ、まだ社会に出てもあんまり役にはたたないってこと?」
「いえ、そういうわけじゃ」
所謂圧迫面接というやつとは解っているけど、悔しい。
何故って、自分がそう思ってるから。
自分で答えていながら心は、これじゃ駄目だと思った。
ほんとに私はまだ何も知らない、ほんとうにもっと勉強すべきだ。
逆に今卒業して社会人になってしまうことが、自分にとって良いことなのか?
今日の面接で、はっきりとわかった。
このまま社会に出ても駄目、いかにも中途半端だ。
心のもやもやが逆に晴れてきた。
就職はやめよう。
大学院に進んでもう少し今の経験を自分の中で咀嚼しよう。
真っ先に、祐介に相談した。
その答えは、私の考えに全面的に沿ったものだった。
「就職については相談に乗れなかったけど、そう言う決心をしたんだったら、役に立てるよ。
是非うちの大学へおいで。
院試は9月だ。
先生にも紹介する。そうだ早い方がいいから1度東京に出ておいで、都合のいい日を連絡してっくれたら、アポとっておくから」
急激にいろんなことが動き出した。
ゼミの先生にも相談した。
先生は快く推薦状を書いてくれることになった。
親も説得するまでもなく、自分の進路は自分で決めたら良いと言ってくれた。
「なお、わたし就職をやめて院に進むことにする」
「うっそ~、え~なにがあったの?
ふ~ん。まじなんだね。いいな~やりたいことがあって。
わたしなんか何にもない。
なんとなく就職して、いいお婿さん見つけてなんてしか考えてないのに。」
「面接で答えてる間に、決心したんだ」
「そうか、頑張って。応援するよ」
「ありがとう」
 
中学の修学旅行以来の東京。
今度は一人。
でも祐介がいてる。
向こうの大学の手配はすべて祐介がやってくれた。
「さあ行こう、研究室は汚いからびっくりしないで」
通された研究室は汚いというより、文字通り足の踏み場もない乱雑さだったけど、なにかほっとする暖かさが感じられて、それだけで好感が持てた。
教授は思ってたより若い先生で、頭はぼさぼさ
、口ひげを生やした良く言えばアインシュタインを若くしたような気さくな人だった。
ここでは企業の面接とは違って、本当に心の中から出た言葉で自分のやりたいことが語れたので、逆に話し過ぎないように自分でブレーキをかけなければいけないほどだった。
「よ~くわかりました。頑張って是非来てください。僕は大歓迎だよ」

 

 

 

あくる日、夕方に2人で二月堂まで行った。
もう二月堂の周りはいっぱいの人。
奈良の人でも未だにお水取りは1日から松明が一本づつ増えて行くんだ
とか、お水取りは12日で終わりだ、なんて言う人がいてるのに、
14日の平日の夜にこれだけの人がいてるなんて・・
「すっごい人、12日だけ人出が多いと思ってました」
「今日は最終日でね、普段と少し松明の上がり方が違うんだよ」
「へ~そうなんだ、皆知ってて来てるわけ?」
「そうだよ、だって何時も7時からだけど今日は時間も早いんだし」
「今日はどんなふうに上がるんですか?」
「何時も上堂衆と一緒に1本づつ上がって、回廊を通るんだけど、今日は一斉に回廊に10本並ぶんだよ」
「へ~フィナーレってとこかな」
「そうだね、お別れの挨拶かな」
やがて,鐘の音と共に松明が上がってきた。
「ほんとだ、つぎつぎに上がってくる」
「前の人のお尻を焦がすぐらい、次々上がるから尻つけ松明って言うんだよ。」
「すっごい」二月堂の舞台に並んだ松明が一斉に打ち振られた。
火の粉が滝のように流れ落ち、舞台の下に待ち構えた人たちからどよめきと歓声が沸きあがった。
「春野さんは、初めて?」
「14日にこんなことしてるって、全然知らなかった。」
「さ、上へ行こう」
「上って」
「修二会の行を拝観するんだよ」
「え~そんなの見れるんですか?」
「早く行かないと、入れなくなるよ」
初めて二月堂の局(局)と言われるところに入って驚いた。
どうせ年配の人ばっかりだろって思ってたのに、
意外と若い女性が多かった。
内陣は女人禁制だから、女性はここからしか見ることができないんだけど
、それでも見たいという熱心な人が多いらしい。
でも、中の様子はまったくわからない。
「ねえ、私に付き合ってここにいたら何にも見えないでしょ」
「いや、昨日もおとついも見たからもういいんだ、
中にいてもそんなに見えるわけじゃないしね。
奈美ちゃんと一緒のほうが良いから。
ぎゃは!!さりげに今の言葉。
なに?ひょっとして・・・
それに奈美ちゃんだって、今まで春野さんだったのに。
なんかドキドキしてきた。
もうちょっと何か言ってほしい。
わたしのリアクションはどうしたらいいんだろ?
その時、内陣の中の籠もりの僧の足音が激しく響いた。
帳に映る人影が激しく揺れ動く。
籠もりの僧の激しい息遣いが私に乗り移ったような錯覚に陥る。
その時、帳が巻き上げられ。ほら貝の音とともに内陣の中で炎が
燃え上がるのが見えた。
いったい中で何が行われているのだろ?
次の瞬間、灼熱に燃え上がり、
ぱちぱちと音を立てる松明がいきなり目の前に投げ出された。
思わず、山本さんにしがみつく私。
1瞬お堂の中の空気が、かっと熱く感じられた。

 

2月に行われるから,修二会の中のほんの一部。
お水取りは、その中で、12日の深夜に若狭井から、
ご香水を汲み上げる行事が行全体を指すようになったということだ。
そしてお堂の中で深夜、12,13,14日の3日間だけ。走りの行法、韃陀の行が行われる。
韃陀は内陣の中で火を使う激しい行で、お水取りの中の謂わばハイライト。
お水取りが、水と火の行事といわれる所以になっているということ。
修二会は六時の行法といわれて、日中(午後1時過ぎ)、日没(午後1時半ごろ)、
初夜(午後7時過ぎ)、半夜(午後11時半ごろ)、後夜(午前0時ごろ),
晨朝(午前1時ごろ)と行が行われる時間が決まっているらしい。
私たちが二月堂に行った時間は籠もりの僧は下堂していて、内陣には誰もいなかった。
それでも、今晩使われる松明が用意されていたり、人も多くて普段の二月堂とは少し雰囲気が違って見えた。
そのあたりを説明してもらいながら少しぶらぶらしてから、下まで歩いていった。
ほんとなら、東京の人に私が説明しながらというのが普通なんだけどな。
関西の春はお水取りからと言われる。
でも奈良の三月は、まだまだ空気は冷たい。
だけど、梅、レンギョウ、そしてあたりに芳香を漂わす沈丁花と花々は確実に春の気配。
私は桜の咲く春爛漫の頃より、この冷たさを含んだ早春の季節がお気に入り。
そして二月堂から戒壇院へのこの道も。
2人で話しながら歩いていたら、駅までの道もすぐについてしまった。
「いらっしゃい、やあ2人一緒だったんだ。」
『今日は山本さんの案内で春日から二月堂まで行ってきました』
『そう、それは良かったね、山本さんはいろいろ詳しいから勉強になったやろ』
「いや~そんな,奈良の人に奈良の説明なんてできないですよ」
『今日大和舞をみてきました。舞楽と違って動きが優雅で、うったりしていて素敵ですね、
マスターも舞わはったことあるんですか?』
『うん、あるよ、確かに舞楽とは動きが全然違うね。もちろんちゃんと拍子で舞ってるんだけど、
舞楽みたいにきちきちとした感じがないだけ、余計難しいかも』
『私も舞いたいです』
「なんか、最近あれもやりたいこれもやりたいばっかりだね」
「いや~。そんなあつかましことないんやけど、羨ましいんです」
『そうだね、女性にはチャンスがすくないもんな』
『練習だけだったら何時でも教えたるけど、実際に舞えなかった意味ないしな』
「ほんまですか?本番で舞えなかっても、教えてください!」
『それでもええんやったら、何時でも教えるよ』
『約束ですよ』
『うん、わかった』
「わ~うれしい」
『良かったね、春野さん、こうやって身近に教えてもらえる人がいるなんて羨ましい』
『私思うんですけど、どうして日本の学校で雅楽とか古典音楽教えてないんですか?』
「そうやな~、古いことを言えば、明治の欧風化政策から始まるんやろかな、山本さん」
「そうですね、とにかく西欧に追いつき追い越せと一生懸命だったから、
日本のよさを省みなかったと言うことでしょうね」
『決定的には戦後のGHQの政策かな』
『そうですね、日本文化を徹底的に破壊することが目的やったかもしれませんね』
「ま、そいうこっちゃ、せやから戦後教育で育ったもんは、まったく日本の昔からの文化を教わってないんや」
「だから、教えたくても教える側が知らないんですからね。
春野さん、あなたのように、雅楽を実際にやってる人が教育者になって、
これからの子供達に日本の昔からの文化を教えてほしいな」
「そんなんむりですよ~そら教育課程もとってるけど、私は国語やし」
『国語で良いやん、たとえば源氏物語とか古典を教える時に実際に音楽を聞かせてあげたら良いねん』
『それは良いですね、口で言うより本物を聞かせてあげれば子供達も興味を持ちますよ』
「そんなん言われても・・・」
そう言いながらも、ちょっと惹かれるものがあった。
「でも、わたし何も知らへんし」
「これから勉強すればいいやん、まだ若いねんから」
う~ん、たしかにもっと勉強したい、前に中冨君が言ってたけど、先生も雅楽のことなんもしらんねんって。
これって、やっぱり変、それに奈良の先生が知らなきゃ話にならへん。
私の気持ちの中で、何かが大きく動き出した気がする。

 

店に入って行ったら、山本さんとマスターが笑顔で迎えてくれた。
いやだ、私のことを話題にしてたんだ。
でも良い、またこうして山本さんと話ができるなんて、少し前まで思ってなかった。
それから何時の間にか、2時間以上話をしていた。
山本さんの名は祐介。
実家は神奈川の川崎市。
今はドクターの2年目、来年も大学に残ることは決まっているらしい。
この前の彼女は同じ研究室のM2で、おん祭を見たいと言うので、一緒に来たとか、
なんか一生懸命言い訳してる、でも、もう良い。
今こうして話できたんだもん。
家に帰ってから、なおに電話した。
『今日、この前言ってた人がバイト先に来てね、その後で何時ものさてんであったの。
明日も会う約束しちゃった。
話したら,ほんといい人で、なんかず~と前から知ってたみたいに話が合うねん。」
なんて、興奮して一人でしゃべってしまった。
迷惑だろうけど、どうしても人に聞いてほしかったんだもん。
なおは「ふん、それで、そう、良かったじゃん」
って、嫌がらずに話を聞いてくれる、ほんと感謝。
あくる日は、朝9時に近鉄奈良駅前で待ち合わせ。
三月の朝はまだまだ寒い。
でも行基さんの前は、いっぱいの人。
朝からこんなに奈良に人がいるなんてびっくり。
待つまもなく、山本さんがぼさぼさの頭で、いかにも寝起きって感じでやってきた。
昨日はお水取りを見て、夜中まで起きていて、明け方ちょっと寝てたら寝過ごしたらしい。
かえって申し訳なかったな。
どうして、こんなに朝早く会ったかというと、今日は春日大社の春日蔡の日で、
そのお祭りを見るため。
春日蔡というのは、春日にとって1番大事なお祭りで、
申の日に昔は行われたから別名、申祭りというらしい。
今は、お水取りのクライマックス、12日のあくる日、13日に固定されている。
宮中から勅使が下向してくる勅使蔡で、京都の葵祭り、岩清水八幡宮のお祭りと並んで、
日本三勅使蔡として、大変格式の高いお祭りと言うことだ。
『勅使って、今でもあるんですか?』
「うん、前に国会で変な議員が、国家公務員が宗教行事に関わるのはおかしい。
なんていちゃもんをつけて、問題になったことがあるんだけど、こういうのは宗教行事というより、
日本の伝統行事としての側面で維持する方が、づっと大事なんだけどね」
「そうすよね、そんなことに文句を言う暇があったら、もっと大事なことがあるんやろに」
「はは、いや、まったくそうだ、とにかく伝統行事を維持していくのは大変なことなんだから、
文句を言うより、援助をしてほしいよね」
「昔は春日蔡はもっと大きなお祭りでね、斎女の参向なんかもあって、
今の葵祭に負けないくらい華やかだった見たいだよ。
奈良の地名で、宿院町と、内侍原町とかはこの春日蔡にゆかりの名前で、
勅使の一行が泊まったから町名になってるんだって」
へ~、奈良の人間なのに、東京の人におしえてもらってたら駄目だけど、ほんと何でも詳しい。
今は、お祭りは春日の境内から外には出なくて、二の鳥居から本殿までの間だけ行列が通るけど、
昔は町中を歩いたということ。
でもその行列は、距離は短いけど、ちゃんと古式にのっとった典雅なものだ。
今でも勅使が藤原一族とそれ以外では本殿に行く門から違うらしい。
私たちは二の鳥居を過ぎたあたりで、その行列を見物して、それから大急ぎで本殿の方へ移動した。
本殿の前の砂利の庭、そこをりんごの庭といって、りんごの木が植えられている。
枯れた時、東北の高校から変わりの木が寄進されたそうだ。
そのりんごの庭で神事の後、大和舞が演じられる。
これも演じるのは雅楽の楽人、何時も一緒に稽古をしてる人達。
大和舞は大和地方の風俗舞,楽は、和琴、篳篥、笛、それに杓拍子と唄。
雅楽の舞とはまったく違う雰囲気だ。
知らないけど、日本舞踊の源流というか、檜扇を手にして舞う姿は優美で繊細だ。
私も、あの舞をしたいな~。
男の子が羨ましい。
この舞の稽古には、わたしはまったくお呼びじゃなかった。
雅楽を始めてから、何度も男だったらと思う。
山本さんに言っても、
「う~ん、別に雅楽は男だけのもんじゃないんだけどな。
源氏物語なんかにも、女の人が舞ってる記述があったと思うんだけど」
何を聞いても、解りやすく説明してくれる山本さんだけど、
こればっかりはあんまり納得できる説明はしてくれない。
確かに、雅楽で女だから駄目って、明確に拒否されてるわけじゃないんだけど、
でも出番はどうしても男が優先される。
ちょっぴり悔しい。
今日私が舞人で、それを山本さんが見ていてくれたら、なんて妄想して・・
春日大社から今度は山間の道を抜けて、若草山の山麓から二月堂へ回った。
山本さんと歩いてると、教えられることも多いし、何より楽しくって時間を忘れる。
お水取りだってそう、一般の人というより、私がそうなんだけど、
お水取りと言うのは『お松明』と考えていたんだけど、
松明なんて本来は上堂する僧侶の足元を照らすための明かりだったのが、
だんだん巨大化して今の姿になって、ショウー化したらしい。
だからそれはお水取り、と言うより、十一面観音悔過法要、
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