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最近急記紀のことを書き出したのは、先日読んだ「倭の正体」と言う本に触発されたからです。

先日も日韓の歴史問題が取り上げられていましたが、韓国の歴史観があまりにも反日、愛国主義に彩られすぎて冷静な歴史分析とは遠いものになっているからです。

任那に日本府はなかったと言う結論になったらしいですが、これも冷静に日本府などという正式機関はなかったが、いわゆる倭人がそこにいたのは歴史的事実です。

あたかも日本と言う国が侵略してそこに統治機関があったかのごとく誇張して、そんな事実はないと超え高に叫びうちけす。

これは歴史認識ではありません。事実はそこに倭人が居て周辺の諸国を荒らしまわり、高句麗までも襲い広開土王碑文にそのことが書かれてると言う事実です

私は、その当時の日本にはまだ統一国家はないし、国家意識も、倭という国家もなかったとお思います。

ただ一部の倭人が海賊よろしく朝鮮半島に進出したという事実があるのみです。

なぜかといえば、その当為の倭人はまだ未開で、朝鮮はんとぷがはるかに優れた文明と知識を持っており、それを得ることが凄く魅力のあることだったからです。

逆に朝鮮半島の任那に本拠があって、日本に侵略したのが真実だと言う、「倭の正体」と言う本の記述では理由がみsつかりません。日本に出てきて何の魅力があるのでしょうか?

犯罪で言う動機がないのです。

結論としては前に書いたとおり、任那には倭人が進出しており、そこから朝鮮半島のあちこちに略奪を繰り返していた、そして最後には放逐されたということです。

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前に基本的に記紀の叙述は事実に基づいていると書きました。

この東征も基礎となる事実が何らかの形であったと思います。

何もわざわざ、大和朝廷の先祖が九州からきたとうそを書く必要性がないからです。

あるとしたら、九州ではなく、例えば朝鮮から来たことを隠したかったからか。

それにしても何故長躯大和まで来なければならないのか?

それほど大和が魅力的な土地であったのか?

大和を制する必要があったのか?

この答えは私にはまだわかりません。

邪馬台国が九州でその王朝が大和の来たのか?逆に邪馬台国が大和でそれが征服されたのか?

謎ばかりです。だから歴史が面白い。

伊勢神宮は垂仁天皇の25年に天照大神の御杖代となった倭姫命によって諸国をめぐった後に五十鈴川の

川上に鎮座したと伝えられます。

垂仁天皇の在位は紀元前ということになりますが、常識的に考えてせいぜい1~2Cと思えます。

ま、それでも卑弥呼の時代よりは古いのですが・・

そこらの考証は私には無理ですので、一応私的な妄想と言うことにしておきます。

垂仁天皇の父は崇神天皇、はつくにしろすめす、と言われる天皇です。

これも、なんかひっかかります。

倭姫なんていうのも、よく卑弥呼に擬せられる人です。

記紀で言えば、この時代がなんか卑弥呼の時代のようなにおいがします。

でも私は別に、大和朝廷イコール邪馬台国と思っているわけでもありません。

実際良くわからないというのが今のところです。

神武の東征というのが、良くわからないからです。

さて、そこで卑弥呼ですが、これは明らかに卑字です。

音から言えば、日御子、姫御子を当てるのが適当かと思います。

どちらにしても、これは一般名称で、名前ではありません。

ただ、女性であることは記述からも間違いありませんから、記紀にかかれたいずれかの女性である可能性は残ります。

次の台与、字に関しては諸説ありますが、音ではとよ。

とよは、一見名前のようですが、古来「とよ」は美称として使われていました。

推古天皇が「とよみけかしきや姫」、崇神天皇皇女「とよすきいり姫」あるいは豊秋津島などとも使います。

ということは、これもまた、誰に当てはめてもいいかもしれません。

ただ、日御子、とよと続くと、伊勢神宮」アマテラス大神」外宮「豊受大神宮」の組み合わせを思い浮かべてしまいます。

 

私は基本的に、記紀の記述を尊重と言うか、ある程度の事実として考えています。

およそ、時の権力者によって編纂された歴史書は、当たり前の話として、権力者側から書かれているわけですから、自分にとって都合に悪いことは書かないし、自分に良いように脚色はするものです。

だからといって、ありもしないことをわざわざでっち上げるとか、まったくのでたらめを書くことはないと考えます。

さて、そこまでは前置きですが、いわゆる邪馬台国。

記紀にはその記述は一応ありません。従って大和王権と邪馬台国は連続性がないと考えられます。

しかしです。本当にないのでしょうか?

2~3cの日本には文字がありません。もちろん歴史書は存在しません。

従って中国の歴史書が書かれたものとしては唯一のものです。魏志倭人伝がそれです。

さて、中国は昔から中華思想というものがあります。

中国だけが世界で唯一の文明国で他は蛮人の支配する国、世界の中心は中国と言うやつです。

従って、蛮人の国の支配者であっても当然蛮人ですから、良い字は使いません。卑字をもって表します。

卑弥呼、これも当然音を当てただけ、実際の使われ字ではないはずです。

もっとも、逆にもともと名前があったか、あっても本来の字と言うものがあったかすら疑問です。

アメリカインディアンが、たとえば鷹を射止めたからイーグル、狼をしとめたから狼とか呼ばれたように、名前は区別するためだけで、生まれたら、名前をつけるなんて風習うがあったかどうか?

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