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日本書紀には、ほとんど出雲神話の記述はありません。

それは、日本書紀が正史だからです。

それに対して、古事記は正史では全くありません。書紀にも、古事記に関する記事は全くありません。

古事記が今年1300年にあたるとか、稗田阿礼、太安麻呂がと言う話は、すべてその序文に書かれた記事がすべてです。

古くから、この序文に関しては多くの疑問が挙げられています。偽書説、後補説などです。

昭和54年に奈良市此瀬町の茶畑から安麻呂の墓が発見された以降、あたかもこの「序」への疑いが霧散したかのようです。

しかし、冷静に考えてください。この碑文には何一つ、古事記に関する記述はありません。

ただ安麻呂と言う人物が、実存したという事実が確認されたにすぎません。

「序」への疑いは全く解消されていません。

しかし、いまはこの事は棚上げします。

そして、その序が正しいとして、その序に書かれたことから、古事記は壬申の乱に勝利した天武天皇が、国家の根幹である帝紀と本辞の乱れを正すため、阿礼に誦習させた歴史が安麻呂によって古事記として撰録されたということです。

早い話が、天武にとって都合のいいように歴史書を作ったということで、これは、世界中、時の権力者が自分に都合の悪い部分は切り捨て、改変し歴史書を作ることは、いわば当然のことです。

だからこそ、これを読む場合そのことを頭に入れて読むことが必要なのです。

さてここからが本論です。

いままで出雲神話の不審点を見てきました。

私は、この疑問から、実は出雲がヤマトを征服したのではないかと推論しました。

そうすると、多くの疑問が解消されます。

出雲神社が何故作られたか?そして三輪の神がなぜ大物主なのか?

ヤマトになぜ多くの出雲の地名が残されているか?

なぜ、オオクニヌシが簡単に国譲りをしたのか?

ヤマトの神、アマテラスがなぜヤマトに祭られていないのか?

すべて、これで解消します。

 

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今日は、以前から使用していた奈良市青年の家が廃館になったため、あちこち場所を探した結果、ある方の紹介で、天理教の北陸大教会詰め所を使用させていただくことになり、その会場での初めての大会がおこなわれました。

思えば当初は20人も集まれば多い方でしたが、本日で53名の参加。

大学、高校、中学、そして社会人も含めて、多士済々の大会となりました。

A級(4段以上)の参加者も10名を超えていますし、何よりも若い子たちが大勢参加してくれているので、将来楽しみです。

会場はざっと100畳の大広間ですが、さほど余裕もありません。

大会に先立って、年に1度の総会も開かれました。

昨年から役員もほとんど総入れ替えですべて若い人たちで運営されます。

微力ではありましたが、それなりに20年余り続けてきたかいがあったと感慨深いものがあります。

イザナギ・イザナミの神が、国生みをした神話。

生み続ける「国土」は淡路島に始まり、伊予、隠岐、筑紫、佐渡、そして大倭豊秋津嶋と生み進めます。

国を生みなすと言いながら、次々と生まれてゆくのは嶋です。

もちろんこの場合、嶋は海中の島といった地理的意味でなく、国に似た意味とは思われます。

それにしても、その島々が生まれる順序は淡路島を起点に、海上を船で巡り、関門海峡から日本海に出て、日本海上の島々と九州そして本州南西部の中国・北陸あたりを日本海側から望み、その後また淡路島に帰るついでに、あちこち島々を確認すると言った、海原をこぎ渡る人々の視点が見られます。(ヤマトコトバの考古学「木村紀子」)

もちろんこれは、大和朝廷の古事記で書かれた文章です。

でも、順番が逆だったらどうでしょう?

出雲から出発して関門海峡を経て、瀬戸内海を通過し、淡路島にいたる。

なにか神武東征に似ていますね。

それなによりもこれよりも、出雲がヤマトに達する経路としてみれば、非常に納得できる順路です。

さて、出雲に対して国譲りをせまった天孫族ですが、それからどうしたかと言えば、なんと日向の高千穂の峰に天下ります。

それでは出雲に対する立ち退き要求はなんだったのでしょう?

いまでこそ島根と宮崎はそう遠くない感覚かもしれませんが、太古の昔、この両者はとんでもない距離です。

ここでも、私にはまったく納得ができません。

 

 

以前、「高松塚の真の発見者に」と5,000円入りの封筒が、アカダマに投げ込まれていたことを書きました。

その後ソムリエ友の会の役員にも相談の上、しばらく様子を見て、その上で反応がなければ、「文化財レスキュー」へ寄付するという結論になりました。

そこで、昨日その5,000円を文化財レスキュー宛てに降り込む手続きを取りました。

ご報告まで。

 

 

さてここに、日本海文化圏と瀬戸内海文化圏という考え方があります。

日本海側、出雲を中心としてコシ、ツクシを結ぶ文化圏と、ヤマトを中心として瀬戸内、東海を結ぶ文化圏です。

日本神話によれば、要するに出雲を中心とする、日本海側文化圏がヤマトを中心とする瀬戸内文化圏に負けたことになります。

でも古代において、どちらがより力があったのか?

日本海側には、四隅突出型方墳が出雲や富山地方に分布していました。

取っ手の部分に特徴のある素環頭鉄刀、あるいは巨木を立てると言う文化がありました。そのほかにも越のヒスイをめぐる文化も共通です。

そしてなにより、大陸とのつながりもあります。

いろんな文化からいうと、ヤマトを中心とする瀬戸内文化圏より力があったと考えられます。

ところが神話では、出雲がヤマトに負ける形になっています。

でも、ヤマトの三輪山の神は大己貴命、もちろん出雲大社もです。

ヤマト王権の神であるアマテラスは何故か、大和では祭られず伊勢にあります。

そして大和朝廷はその後も何故か出雲に気を使っています。

そして、出雲に国譲りをさせたという、武甕槌神は遠く鹿島の地に鎮座します。

やまとには出雲にゆかりの地名が多くあることは知られています。

何か変な気がします。

春日神社とその神を調べていけば、どうしても武甕槌神について調べなければいけません。

そして武甕槌神の記述は出雲の国譲りへつながります。

その国譲りは、私にはどうしても不思議なものに見えます。

何故、そんなに簡単に大国主は戦いもせずに国を譲るのか?

で、出雲の国について少し遡らざるをえません。

出雲はスサノオを開祖とする国です。

そのスサノオはイザナギの神が禊ぎをしたときに、アマテラス、ツクヨミ、と共に生まれます。

要するに、出雲王朝の祖先神スサノオとヤマト王朝の祖先神アマテラスは禊ぎによって生まれた姉弟です。

そしてアマテラスは高天原、ツクヨミは夜の国、スサノオは海原を支配せよとイザナギに言われますが、結局スサノオはその乱暴によって追放され、放浪の末、出雲に腰を落ち着け出雲王朝をうちたてます。

スサノオはイザナギが生んだ嫡男です。本来は当然葦原中つ国を支配していても不思議はないのですが、イザナギ、アマテラス、ニニギのヤマト王朝と、イザナミ、スサノオ、オオクニヌシの出雲王朝との2系統に分かれます。

さて、そこで国譲りの話が出てくるわけです。

高天原の言い分は、お前が治めている葦原中国は、もともとアマテラス大神の御子の治めるべき国である。

だから譲り渡せと言うのですが、これは実に理不尽な話です。

だから当然すんなりとは行きません。

2度の使者は失敗に終わり、3度目は武甕槌音神と経津主の両神が出雲の伊那佐の小浜という場所に来て、十握みばかりの剣を浜辺に刺し立てその上にあぐらをかいて、オオクニヌシに国譲りを談判します。

で、オオクニヌシとその子コトシロヌシは何故か、承知をします。

もう一人の子タケミナカタの神は少し抵抗しますが、最後科野の洲羽海まで逃げて降伏します。

この話、素直に納得できますか?

せっかく苦労して築きあげた出雲王朝を、これは本来私たちが治める国だからよこせ、といきなり言って来られて、、はいどうぞと差し出すわけです。

何か釈然としません。

 

 

 

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