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コーヒーの故郷はエチオピアです。
その歴史は、紅茶(茶)に比べると比較的新しいものです。
10c~13Cにかけてはアラビアを中心としたイスラムの国々で修行の秘薬として用いられ、13C後半になって、焙煎して飲むという方法が発見されて、初めて「飲み物」となりました。

西欧諸国にコーヒーがアラビア、紅茶が東洋、ココアがメキシコから伝来したのは、16C~17Cにかけて、ほとんど同じ時期です。
そうして、その後国によってさまざまの事情で、フランス、イタリアなどの大陸にある国は主としてコーヒーを、アメリカは茶からコーヒー。
イギリスは最終的に紅茶を選択しました。

世界で最初のコーヒー店、「カフェ・カーネス」ができたのはオスマントルコの首都であったイスタンブールです。
1554年のことです、1570年ごろにはその数は600を越していたといいますから、あっというまに広がっていったことがわかります。
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紅茶の歴史を、駆け足どころか、ほとんど全速力で駆け抜けましたが、とにかく、ある意味オランダとの戦いに負けたイギリスが、やむ終えずというか紅茶貿易に力を注ぎ、結果、コーヒーの例にもれず、中国からの輸入に頼らず、なんとか自前の紅茶葉を手に入れたいとイギリスも考えました。
こうしてインドにおけるアッサム種の発見、そして茶園の造成へと繋がっていきます。1860年ごろにはダージリン、ニルギリ等の茶園が形作られました。
またセイロンでは、トーマス・リプトンがサビ病ですっかり荒れたコーヒー園を紅茶園へと作り変え、一気に生産量を増やしていました。
20世紀に入ってからは、イギリスはケニアでも生産を始め、今やインド、セイロン、ケニヤで世界の生産量の大半を占め、かって中国が世界の紅茶の唯一の生産国であったことすら知らない人が多くなっています。
                       この項終わり。
少し話は遡りますが、ヨーロッパに始めてもたらされたお茶は、日本のお茶でした。
1609年、オランダ東インド会社の最初の舟が九州平戸に来航しました。
この舟が翌10年、平戸からバンタムを経由しオランダへヨーロッパへ最初のお茶をもたらしたのです。
そして、それからも日本のお茶が如何に儀礼に従って飲まれているかを、新鮮な驚きと共にヨーロッパへ伝えたのです。
おりしも日本は、家康によって天下統一がなされ、千利休によって確立された茶の湯が完成を見た時期でした。
今まで見てきたように、東インド会社の競争によって、オランダにコーヒーで負けたイギリスは、その後はお茶が主たる飲み物となり、やがては中国とアヘン戦争を引き起こしたり、アメリカとはボストンティーパーティ事件を起こし、やがてアメリカ独立のきっかけとなったり、お茶をめぐって大きな変動をもたらしたのですが、それは歴史の勉強に任せて、とにかくここでは、イギリスでお茶が盛んに飲まれ、また日本のお茶文化の影響の下、紅茶がセレモニーをともなって飲まれ、カップも日本の焼き物の影響を大きく受けたということに留めておきましょう。
少し世界史の復習ですが、15,6世紀いわゆる暗黒の中世といわれた時代が過ぎ、ヨーロッパは、ルネサンスを迎えます。
そして、ルネサンスの3大発見と言われる、活版印刷、火砲、羅針盤などの新技術と、イスラム教徒、イタリア商人の東方貿易の産物に対する需要の増加と相まって、大航海時代に突入します。
まず最初に、活躍したのがスペイン、ついでポルトガルです。
スペイン、ポルトガルの新大陸での権益の名残りとして、今でも中南米の国々はスペイン語圏ですし、ブラジルはポルトガル語ですね。
ついで、7つの海を支配したのが、オランダ、イギリスです。
両国は相次いで東インド会社を設立して香辛料、コーヒー、茶等の貿易で圧倒的なシェアをしめます。
当時コーヒーはアラビア半島でしか取れませんでした。
そして、唯一の積出港はモカです。
そしてヨーロッパの国でモカ港に出入りできるのはイギリスとオランダだけでした。
だから今でもヨーロッパではコーヒーの代名詞がモカになっていますね。
かってベトナムではバイクの代名詞がホンダで、スズキのバイクは、スズキのホンダといわれていたとか、これはまったくの余談です。

最初、コーヒーでもイギリスの方が優位に立っていましたが、やがてオランダがジャワ、セイロンでコーヒーのプランテーションを作り、コストダウンに成功し、コーヒーの貿易でイギリスを圧倒しました。
やがて、イギリスは貿易の中心を、お茶に移していきました。
ところで、中国からヨーロッパに広がった茶の名前に、二通りの名前があります。
「チャ、チャイ」と「テ、テー」がそれです。
これはヨーロッパへの伝播ルートの違いに寄るものです。
チャ、チャイは中国と陸続きの国、朝鮮、モンゴル、チベット、ロシア、
インド、イラン、アラビアなどです。
一方、テ、テーは福建からバタビアを経て、海のルートから伝わった国々、ヨーロッパの国です。
でも例外があります。
ポルトガルはオランダと敵対していました、そこで、海のルートでも「広東」を出発地として、マカオを経てチャがもたらされたのでチャです。
ポーランドはヨーロッパの国ではありますが、チャは海からではなく、ロシア経由で陸地からもたらされたので、チャの系統です。

次回は少し世界史のお勉強をしましょう。
東インド会社という言葉を聞かれことがありますか?
イギリスとオランダの東インド会社が有名ですね。
この会社と紅茶、コーヒーの話です。
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