今、奈良大学の文化財講読のレポートのため、田中琢氏の「倭人争乱」を読んでいる。
その中で、コラムで紹介されているのが表記の人です。正直私は初耳です。第1次大戦後から第2次大戦のヨーロッパで真摯に生きたもっとも偉大な考古学研究者とあります。
彼は1957年300mの断崖から飛び降り自殺をします、65歳。
死後、10年公表を禁じた遺書にこう書かれていたそうです。
「医学が進歩したため、社会が扶養しなければならない、利子生活者や年金生活者、そのほかの退職者たち、
社会はこれらの多くの寄生生活者の重荷であえいでいる。かれらは若者たちを搾取する。
若者たちは、この人たちに代わって働き、彼らの世話をすることを求められている。
搾取者にならないで、働けば、若くてもっと有能な後輩が前進する道を閉ざす。
65歳を超えると、それより若い人より肉体的に衰え、精神的な敏捷さや順応性がはるかに劣る。
新鮮な着想が生み出されるかどうか、それも疑わしい。
老齢者がその知識や経験、技能を役に立たせると称して学術団体や公共機関、慈善施設、政党などの名誉役員や相談役になるのは老人支配に陥りがちであり、最悪の指導形態である。
65歳から後は新しくものを考えたり、これまでの知識を独創的に組み合わせることはまずできない。
健全な社会であれば、このような寄生生活者に生涯最後の栄誉として安楽死の機会を提供するか、やむおえないときには、それを強制すれば、その重荷から逃れることができる。
として彼自身は、これ以上考古学に有効な貢献はできると思えない。新しい着想も湧いてこない。古色蒼然とした相談役として学会や大学研究機関にしがみついていたいとは思わない。
社会の重荷になrないうちに生を終える、幸福で丈夫なうちに生を終えることが最善なのだ。と死を選んだ。
この考え方をどう思うかは、各人いろいろであろう、ただこういう人がいたことは驚きであり、紹介したい。
ちなみに私は66歳。
昨日は東大寺の敬讃能が雨天のため、室内で行われた。先週は豆比古神社の翁舞。
正直、お客さんに言われるまで忘れていました。
年寄りの言い草ですが、昔は奈良のすべての行事がある程度頭に入っていて、今日は何処で何があると、お客さんに、教えていたのに、今や逆にお客さんに教えられるざまです。
昨日、見えられたお客さんも以前に来られていて、カウンターで話をしていたのですが、すっかりお顔を忘れていて、声をかけられてようやく思い出しました。先週も名古屋から来られたお客さんもそうでした。
こういうことは、加齢による記憶力の衰えというより、やはりそれだけ集中していないということです。
自慢になりますが、以前はカウンターでお話を1度でもしたお客さんのことは絶対覚えていて、何年たっても会話の内容まで記憶していて、お客さんに驚かれていたぐらいです。
人間、気を緩めると駄目です。気を引き締めるといっても、一端気を緩めると、再度引き締めるのは大変なことは「かるた」の試合で経験があります。
ほぼ勝利が確定した段階で、ふっと気を緩めて、その後逆転されたことがあります。
それでも、後3ヶ月足らず、気を引き締めて頑張ります。
昨日はソムリエの集いがありました、今回は広報部からも2人加わってくれました。
ほんとに何もない会ですが、今のところまだ続くようです。
8月、9月と5科目受けた試験の結果が昨日でそろいました。
5科目中3科目が可、2科目が優。
一応全科目合格という結果に喜ぶべきでしょうが、3科目が可というのは少し悔しい結果でした。
でも持てる力はすべて出した結果だと思いますし、満足しています。
次は全部優を取れるようにがんばります。
今は中国史のレポートに取り組んでいます。
中国史をあらためて勉強すると中国はやはり凄い国だと思います。
紀元前1600年間に既に文明があり殷という国が存在しているのですから驚異です。
商人や牛耳るという言葉がこの中国の古代から来た言葉であることも驚きでした。
逆に紀元前に由来する中国の古事から来る言葉を、日本人が今もなお使っていることも驚きです。
日本語で言えば、言語伝承論という科目で、日本語の言葉が何処から来たかを学んでいます。
今、男、女と対で使っているが、もともとは、「おとこ」に対する言葉は「おとめ」。
「おんな」にたいするこtばは「おぐな」であったというのは初めて知りました。
「おとこ」からは「ひこ」「むすこ」「むこ」と「こ」で共通する言葉。
「おとめ」からは「ひめ」「むすめ」「よめ」が共通の言葉。
「おんな」「おぐな」からは、「おきな」「おうな」「おさな」「おとな」など。
それぞれの言葉はそれを使用していた、それぞれの地方あるいは民族がいた、それが言葉として残っている。
こういった言葉の古層をたどる学問が言語伝承論、ほんとに奥が深いです。
学ぶというこことは、こういうことだったんだと、今の年にして始めて知りました。
「stay foolish]、stay hungry] まさにその通りです。
昨日のNHKのニュース9でも報じられ、前にもこのブログで書きましたが、がれき処理がいわゆる住民の反対で進まないという話。
前にも書いたように、反対のメールや投書が寄せられてやめるというケースがほとんどですが、その数は多くてせいぜい100余り、少ない場合は2,30通とのこと。
これが本当に住民の真意なのでしょうか?
あの大震災が起こった直後、この痛みは日本の痛み、すべての日本人がこの痛みを共有しようと誓ったのではなかったのでしょうか?
東北の再建は道半ばどころか、端緒さえついないのが現状です。
そんな中で、ほんの一握りの反対におびえて決断できない自治体。
それを後押しできない住民。正直日本人として恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
定例の月に1度の役員会が昨日ありました。
最近店を週に3日しか開けないので、運動不足気味だから、西大寺まで自転車で行ってみました。
高畑から西大寺まで20分ぐらいかなと思ったけど、30分近くかかって、汗びっしょり。
まあ所期の目的は達成できたわけです。
役員会は、今回は問題もなくすんなり終わるかと思っていましたが、相変わらず議論がかみ合わず、9時近くまでかかりました。
その場にいて、やはり自分はこの場にいるべき人間ではないと、いっそう強く思うようになりました。
当初、緩やかな連携というテーマだったはずのこの会が、私の思う会と、どんどん乖離していきます。
そもそも私は、ガイドをやりたくてソムリエ検定を受けたわけではありません。
ただ単に自分の奈良の知識がどの程度か試す意味で、言い方は悪いですが、面白半分で受け、結果ソムリエまでたどり着いたというのが実情で、それ以上でも以下でもなく、だから何をやりたいわけではりません。
友の会の発足にあたって、協力を申し出たのも、同じソムリエ同士が、いわば趣味を同じくする人が交流できたら面白そうと感じたので、そういった会と思って申し出たのですが、どうもそうではないようです。
今アカダマで開いている会が、私の友の会のイメージ通りの会です。
さて、広報部長という私の立場、これ以上在籍すればむしろ迷惑ではないかと思うこの頃です。
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