以上は問題用紙に書いた下書きです。
従って、解答用紙に書いた答案とは違って、文字数もかなり多いですが、解答では400字に纏めていますが、詳しくは覚えていないので、内容はこういうことを書いたと理解してください。
さて、皆さんはこの答案をどう見ますか?
行程は一応無理なくまとまっていると思います。見るべきところ、説明すべきところも、もれなく網羅されています。もちろん、内容的にも間違いはありません。挙げるべきポイントも十分に満たしています。
ということで、合格点はあると思いますが、試験を終えてあくる日、失敗に気づきました。
まず、出題点である朱雀門の説明がすっぽり抜けている点です。そう、これなら書けると勢い込んで、知っていることをどんどん書いたのはいいのですが、朱雀門に到達した時点で安心して、かんじんの朱雀門の説明を忘れてしまったというわけです。これは大きな減点要素です。
と言っても朱雀門について書くことを、あんまり知らないのも事実でした。復元された年も記憶していませんでした、規模もはばが44mだったか、高さ27mだったかな?と不確かだったので、書かなかったこともあります。
ただ、この行程のポイントとして、天平の門から平成の復元された門、一条通りから朱雀大路といった、位置づけを書くべきでした。
ということで、20点満点のなかで、こまかいポイントは書けたが大きなポイントを抜かした点で私は14点,かろうじての合格点としました。
そして、1問目がほぼ満点の9点、2問目がやや不満の6点、400字問題が14点、計29点というのが自己採点、かつかつの合格ということでした。
見学場所 1
行程:転害門~興福院~不退寺~法華寺~朱雀門
出発地は東大寺の転害門としたい。景清門とも呼ばれるこの門は、東大寺の中でも数少ない戦火をまぬがれた天平の建物である。その前から真直ぐ西に伸びる道は幅こそ往時の大路の面影はないが平城京左京一条通りそのものである。
途中若草中学前では、松永久秀が建てフロイスも絶賛した日本で最初の多層の天守閣を持った多門城の跡であることを説明してから西へ進む。
途中聖武、光明皇后,元明、元正天皇陵についても説明すべきであるが、いずれも内部には立ち入れないこともあり、説明だけでよいだろう。
最初に訪れるのは、尼寺の興福院、次に在原業平自作の聖観音を本尊とし、平城天皇の仮住まいの萱の御所、不退寺を訪れる。
途中、日本で最初の図書館である芸亭についてもその石碑の前で説明する。
最後に光明皇后が不比等の邸宅跡に建てた法華寺に立ち寄る、光明皇后の写し身であるという、十一面観音を拝観し、仙洞写しといわれる庭も拝観したい。なお余力があれば海龍王寺も訪ねても良い、そこでは国宝五重小塔は是非みるべきである。
そして、ゴールである朱雀門に到着する。朱雀門の基壇に上って平城の昔と変わらぬ景色を眺め1日の疲れを癒しても良い。
さて、400字の問題です。
(1)平城京の朱雀門(奈良市)
(2)阿騎野のかぎろひの丘万葉公園(宇陀市)
(3)石上神宮(天理市)
(4)石舞台古墳(明日香村)
(5)竹林院(吉野町)
以上の中から見学場所を1つ選び、その場所を含む1日見学コースを想定したのち、同伴者を楽しませ、奈良の文化遺産や自然遺産に興味を持たせるには、どのように案内すればよいかを考え、自分なりの見学計画を400字以内で書きなさい。
尚、選択した見学場所の番号を解答欄左上の所定欄に記入すること。また。行程ならびに本文の記述にあたっては、下記の条件を参照すること。
「記述の条件」
・主な見学地を訪れる順番にそって行程を設定し、枠内に記入しなさい。なお、行程は{○○○~○○○~○○○・・}という書き方で列記すること。
・見学地の数は自由とします。
・見学の集合・解散場所(鉄道の駅や路線バス乗り場など)を想定する必要はありますが、行程の欄や本文の中にあえて入れる必要はありません。
・見学地間の移動手段は徒歩を基本としますが、路線バス・鉄道・自動車などを利用してもかまいません。
以上が問題と、条件です。
お分かりのように出題地域はまんべんなく出されている。
最初、講習を受けて時点で、この400字が1番の難関だと感じました。
私は、仕事柄、ほとんど現地に行くことができません。この問題をいったことのない場所で解答することは不可能に近いと感じ、ソムリエの試験はちょっと無理かなと思ってしまいました。実際受験をやめようかとさえ思いました。でもここまで来て最初からギブアップするのも癪ですし、一か八かで賭けに出ることにしました。
ようするに山をかけるということです。
私は奈良市生まれのなら育ち、最近出歩かないといっても、奈良市内の場所なら、ある程度の土地勘はあります。そこで、奈良市の問題が1題はでるだろうから、それにかけようと思ったのです。
そこで、奈良市内だけでいくつかの想定コースを考え、400字に纏める作業をしました。
その中の1つが佐保路でした。
問題を見たとき、奈良市内は朱雀門。しめた、これを佐保路と結びつけよう。正直やったと思いました。
これが落とし穴でした。勇躍して、想定解答の通りの解答を書きました。字数もほぼ400字。完璧に仕上げたと思いました。書き終わって時間は15分前、これも予定通り、悠然とその他の問題を再チエックして。時間。次がその私の解答です。
次に、長屋王とその邸宅・墓所について。の私の解答です。
現在のイトーヨーカドー、前のそごうを建てるにあたって、発掘調査が行われ、大量の木簡が出土し、長屋王の邸宅跡であることが確認され、大きな話題となった。 長屋王は天武天皇の孫であり、太政大臣となり政治の中心となっていたが、光明子を聖武天皇の皇后としたい藤原い一族の前に立ちふさがり、ついには罪を得て自害させられた悲劇の主人公である。 その墓は平群の地にある。
この解答は、お世辞にもいい出来とは言えない。
次数はざっと170字、これも少し少なすぎる、ただし、実際の解答は正直どれだけ加筆したか忘れてしまったが、もう少し書いたと思うのだが、これは下書きを問題用紙に書いた分をそのまま載せているので、その点,御了承願いたい。
ポイント1の長屋王邸宅跡が現在のイトーヨーカドーの場所という点、これはまあ可であろうが、できればその場所が左京三条二坊であるとか、発掘は1980年代後半であったとかを書けばより良かったのであるが、私はその正確な条坊、年代を記憶していなかった。ということで、果たしてポイントになったかどうか?
次のポイントとしては、大量の木簡が発見されて、長屋王跡であることが確認されたこと。これは、そのままポイントとしてあげていいだろう。
次、天武天皇の孫。これは正しい、しかし高市皇子の第1皇子であることを書いていないのはいただけない。 これも、高市皇子の名前がどうしても出てこなかったためである、後で問題用紙を見ると高市皇子と書いて疑問符をつけている、なんとも、痛恨のミスである。 従ってこれもポイントに加えにくい。
次、長屋王を太政大臣としたことは、完全に間違い、左大臣が最高位で、父tの高市皇子が太政大臣である。これは減点。
次、藤原氏の光明子を皇后にするがための邪魔になった為、犠牲となったことはポイントである。これも陰謀という漢字が自信を持てず、変な書き方になっている。ちなみに誣告されと書きたかったがこれも漢字が出てこなかったため見送った。ああ漢字である。
次、墓が平群にあること、これはポイントとしていいだろうが、できれば、吉備内親王とともにと、書ければよかったのだが、これも吉備内親王の名前が出てこなかったため見送った。
以上ポイントとなりうる点を6個書いているが、どれも筆足らずで、完全なポイントとなっていない、そして太政大臣は減点、ということで、この問題は私自身の採点では、合格点に達せず6点といったところ。
そうです。
陳和郷の郷が卿の間違いなのです。
しかし、これはケアレスミスではないのです。
間違いはわかっていました、しかしどうしても正しい字が浮かんでこないのです。
時間は限られています、何時までも漢字1字にこだわっているわけにはいかないのです。
というわけで、あきらめて郷の字でごまかしておいたのです。
これが、筆記問題の怖いところです、知識はあっても漢字が間違っていれば減点です。
今までの4択では、記憶自体も完全でなくても、正しい答えを選ぶことができました。
ところが、筆記の場合は、記憶も完全であることが求められます。
次の長屋王では、これで失敗をしました。
そして、なにより漢字を完全に覚えていないと駄目なのです。漢字の間違いは減点、名前などを平仮名で書いても減点ということでした。
今回の勉強で1番時間をとられたのが、実は漢字でした。まるで漢字検定を受けるように、毎日漢字を覚えました、しかし、膨大な量です。そして怖いのはどわすれ。
というわけで、この教訓。今から毎日とにかく書いて覚えてください。それも正確な漢字で。
これが第1のアドバイスです。
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