今日の読売に、「津波に追われて祖母と2人で逃げる途中、もう祖母が一歩も動けなくなって、おぶって逃げようとしたが、祖母に怒りながら「行け、行け」いわれ、やむおえず祖母に謝りながら1人で逃げ、その後祖母は遺体で体育館に」並んでいた。置き去りにした罪の意識で毎日自分を呪い続けているという投書が紹介されていました。
この投書を涙ナシには見ることが出来ませんでした。どんなにつらかっただろう、いや今も苦しいのだろう、そして自分を犠牲にして孫を救おうとした祖母の気持ちを思うと、涙がとまりません。
もちろん、やむおえない選択だっただろうし、多分それが1番適切な判断だったろうとは思いますが、これからの人生でずっとこの思いを背負って生きていかなければならない少女を思うと本当につらいことです。
自分の命を犠牲にして孫を救ったその祖母、一方で今自分の腹を痛めた子を虐待で殺す親。
人間というのは、なんと矛盾に満ちた存在なんだろうと考えさせられた記事でした。
今年から日程が変更となって、従来の日にちで固定から、金、土ということで、20日、21日に行われました。
例年2日のうち1日は雨というケースが多かったのですが、今年は日程変更が功を奏したというか、両日とも好転に恵まれ、人でも例年より多かったようです。
もともとは興福寺の修二会の一環でしたが、戦後復活した時に5月11,12となったので、日にちの変更は伝統とはかんけいありません。場所も昔は必ずしも固定してなったようです。
全国の薪能の本家本元としては、できるだけ多くの人に来てもらえることが意味があることかも知れません。
19日は唐招提寺のうちわまきがおこなわれました。
明石の花火大会での事故とか、最近いろいろ警察の対応で、警察が訴えられることが増えています。
なかには、盗人猛々しいと思うケースもあります。
しかし、警察はいわば唯一の実質的力を持った公権力、ある程度監視の目がきついのも仕方がなかとは思います。
しかし、最近警察自体がそれに対して神経質のなりすぎていないかとも思います。
心配なのは伝統行事に対する介入です。
うちわまきも、危険だからという指導で今回からまくうちわは200本、1500本が配られたとか。
そして入場者は朝9時から整理券を配って100人のみ。
かっては3000本が撒かれていました。
今回の警察の指導、寺側の対応、批判はできないとは思います。
でも違和感は禁じえません。事故が起こってからでは遅い。だから事前に規制する。これは正しいことです。
でも伝統行事に介入するのはどうなんでしょう?難しいしい問題ですね。
6月11日の第1回のソムリエ友の会の総会に向けて、今参加者を募集中ですが、たまたまこのブログ、ホームページを持っていた関係で、窓口になってしまいました。
それはいいのですが、店のパソコンは業者に設定してもらえたのですが、家のパソコンの設定が出来ず悪戦苦闘です。
毎日のように、電話で相談して設定をしようとするのですがうまく行きません。ほとほと弱っています。
そこへ奈良大学の通信のレポート作成ももあり、連日パソコンの画面に向かって、いい訳ですが、ブログも書いている暇がありません。
というわけで、書きたいこともあるのですが、なかなか余裕がありません。
といいながら先日、春日大社の万葉植物園へ久しぶりに散歩に行ってきました。
藤はほとんど終わって、見ごろは過ぎた感じですが、散歩には良い感じでした。
そもそもこの万葉植物園は、戦後の最初の宮司である水谷川忠麿さんが万葉集ゆかりの草花を集めて名付けた植物園ですが、先代の宮司である葉室さんが名前を神苑と変えたのを、今回花山院宮司の就任を気にまた万葉植物園の名前が戻ってきたいきさつがあります。
春と秋には池の中の浮き舞台で雅楽が演じられます。また園の中には柿本人麻呂を祭った社もあります。
記紀万葉プロジェクトにはゆかりの植物園といえます。
tetsudaさん名付けて、漠然部会ですが、私の意図と反してというか、思いかけずというか、別に人を集める気はさらさらなかったのに、昨日は直接店に来られて、例会に参加させて欲しいといっていただきました。
これで当初の9名から、4名加わって13名。
いやもちろんありがたいし嬉しいのですが、何もしないのが歌い文句の漠然部会、今度の集まりはどうしたらいいのでしょう?
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