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アカダマブログ
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現在一般に春日大社と普通呼んでいますが、歴史的通称では。春日大社は春日社と呼び、
社名として春日神社としています。

何故なら時代と共に、その呼び方と意味に違いがあるからです。

では何故現在は春日大社と呼ばれるかといえば、その由来は
10世紀の初頭に律令制のもと醍醐天皇の命により編纂された
延喜式格式の中にある神名帳に基づいています。

その神名帳は神祇官が作成した言わば官社の1覧表で、神社の社格ともなっています。

その延喜式に記載された神社を式内社と言い全国で2861社あり、
それは
官幣社と国弊社に分けられ、さらに大社と小社に分けられます。

    • 官幣大社 - 0198 0304
    • 国幣大社 - 0155 0188
    • 官幣小社 - 0375 0433
    • 国幣小社 - 2133 2207

その中でも名神祭(特に霊験灼かな名神を祀る臨時祭)が行われる神社を区別して
名神大社と呼び、春日社は、その名神大社に列されせられることにより
明治に至るまで春日大社と称せられることになります。

その後、江戸時代後半から明治にかけて国学が隆盛し、明治に至って神社は
国家神道の枠組みに組み入れられます。

明治4年の太政官により「官社の制』が布告され、神社は国家管理となり
神社は官社となり、官幣社と国弊社に分けられます。

そして律令制の例に倣ってそれぞれに大・中・小の社格に分けられます。

従って、明治以降1946年のGHQの神道指令により神社の国家管理が廃せられるまで
春日神社は官幣大社春日大社と呼ばれることになります。

そして現在は、宗教法人としての登録名により、春日大社が正式名称となるわけです。

以上が春日神社が春日大社と呼ばれる理由です。

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 今年は4月から奈良大学の授業では受けたいという科目が見つからず、
奈良県立大学の公開講座に申し込み、第1回の授業を受講してきました。
店員は50名で、即日満杯となり結局70名となったとのこと。
奈良大学の授業では、生徒の中にお邪魔してという感じでしたが、
今回は一般市民が大半で、生徒がそこへ、ちらほらという感じです。


 講師は、元奈良文化財研究所所長。奈良県特別顧問。奈良県立大学特任教授。
田辺征夫先生です。
主な編著書に『地中からのメッセージ 平城京を掘る』、『平城京 街とくらし』など。
今後の授業スケジュールは以下の通りです。
第1回は概論で、さすがにここ数年、奈良大学で専門コースで学んだあとでは、
よく知っていることの繰り返しとなりましたが、今後に期待です。

 
4月14日 はじめに、考古学とはなにか 奈良県立大学特任教授
田辺 征夫 先生
4月21日 創建法隆寺は焼失したか
-法隆寺再建非再建論争-
4月28日 創建法隆寺は焼失したか
-法隆寺再建非再建論争-
5月12日 創建法隆寺(若草伽藍)の発掘とその後の論争
5月19日 法隆寺昭和の大修理の始まりと斑鳩宮の発見
5月26日 藤原宮の発掘-古代宮殿の中枢部を掘る
6月 2日 飛鳥寺の発掘成果にみる大陸文化の受容
6月 9日 仏教伝来の頃の寺院とその時代
6月16日 奇異荘厳の寺、山田寺の発掘とその成果
6月23日 国の寺-川原寺が与えた影響
6月30日 天皇家勅願の寺(1)-大官大寺
7月 7日 天皇家勅願の寺(2)-薬師寺
7月14日 飛鳥の宮殿遺跡をめぐる諸問題
7月21日 ゲスト講義
橿原考古学研究所 所長
菅谷文則 氏
7月28日 ゲスト講義 ACCU奈良事務所 所長 
西村 康 氏
 
春日大社では第60次の式年造替がいよいよ最後の段階に入っています。
 春日大社は社伝によれば,神護景雲2年(768)に創設されたと言われています。

社伝によればと、わざわざ断るのは、東大寺の造営は正史である『続日本これらは紀』に記載があり、
その他にも、それを補強する資料が存在するのに対して、
春日大社造営に関しては、正史には記載がありません。
式年造替で社殿が度々作り替えらるれていることによって、考古学的な物資料、
年輪測定法といった科学的な推定もできず、棟木に創建年代が書かれているといった
補強資料もありません。
 
  創建年代を示すの文献資料は。鎌倉時代に書かれたものがほとんどです。
ただ平安時代にはすでに神護景雲2年の創設説は広く世間に知られていた証左もあり、
それを覆すべき資料もないことから、今では春日大社の設立は768年としてほぼ公認されています。
 
 
  それでは今も行われる造替がいつから始まったのか調べてみたのですが、
残念ながら手元の資料には全く見当たりません。

  そこで春日大社の発行する資料で見ると、第1回の造替は神護景雲4年(770)とあり、
創立のわずか2年後とあります。
続いて第2回が宝亀年中で、775年、第3回で延暦年中で794年とあります。
これらは言わば伝承であり史実としては、疑わしい面もありますが、
これらの造替のありようから、10世紀から11世紀にかけての頃の朝議の故実を記した
故実書『西宮記』にあるように、破損の都度修理を行った不定期造替出会った様子が伺えます。

『延喜式』には我が国の古い名大社、伊勢神宮をはじめ、住吉、香取、鹿島では20年に一度
本殿を建て替える規定示されています。

それでは春日大社が実際に20年に一度造替を行うようになった時期を春日大社の資料で見るとだいたい鎌倉以降13世紀からであることがわかります。
春日大社の造替の式年性は、いつからと特定はできませんが、およそ平安から鎌倉に入る
12世紀後半と考えて間違いはなさそうです。
この時期は藤原一門の全盛期ともいえ、その富を源泉に造替制が定着したようです。
前置きが長くなりましたが、いずれにしろ、今回の造替が60回目、
20年ごとでちょうど1200年。現在に至るまで営々と続いてきたことはすごいことです。



 
今奈良や京都の社寺で、液体をかけられる被害が続いていますが、いかなる信仰であろうと
1000年を超す期間、数百万あるいは数千万いや、数億人の人々の礼拝の対象となり、
その維持管理のために多くの人々が長年努力してきたという事実はとても重いものです。

 その先人の血のにじむような努力の結晶である現在の社寺に、あのような行為をすることが
どれだけ多くの人々の心を傷つけることになるのかを全く理解していない、
実に愚かな行為であり激しい怒りを感じます。

 奈良まほろばソムリエの有志で結成されたソムリエアカダマ会。
当初、可否茶座アカダマが営業中はそこで月に1度ぐらい集まって例会を開催
し、閉店後もその場所で引き続き開催していました。
しかし、いつまでも閉店した店舗をそのまま放置はできないし、
とにかく今年からいい人があれば貸しても良い旨を不動産屋に伝えました。
前にも書きましたが、そこから。、あれよあれよという間に借り手が現れ、
それが奈良北町で雑貨を扱う「フルコト」さん。
そして3月27日に「フルコト」2号店「ことのまあかり」として無事開店しました。
そこで、もう3年近く開催している「アカダマ会」を今後どうしようか悩んでいましたが
ダメもとで、「ことのまかり」さんに会を店で開かせてもらえないかとお願いしてみたところ
「どうぞどうぞ」と快諾していただきました。
それで、まだ開店の余韻も冷めない4月の第一度土曜日に、
早速アカダマ会を開催の運びとなりました。
なんと当日は貸切という破格の厚遇をしていただきました。

集まったメンバーは、いずれ劣らぬ奈良好きばかり、「フルコト」さんのことは
以前から知っていたとか、奈良手帳の愛読者でしたというメンバーもあり、
奈良の雑貨には興味津々で、2時間の例会は今後も引き続きの開催をお願いして
無事終了しました。
本当に「ことのまあかり」さんには感謝です。

これから土曜日にたまたま来店された方、奈良の話題で
盛り上がっている10名ぐらいのグループを見かけたら、声をかけてみてください。
奈良に関するディープな話を聞けるかもしれません。

写真は馬見丘陵古墳群の模型と、ナガレ山古墳。
[ことのまあかり」さんの雑貨スペース。

アカダマの店舗跡にフルコト2号店として
今日3月27日「ことのまあかり」と名付けられた雑貨カフェが開店しました。

早速開店の11時に合わせてお邪魔しました。
入り口にはまるで花屋さんのようにお祝いの花であふれていました。
これもフルコトを共同経営されている5人のお付き合いの幅の広さの表れと思われます。

店の入り口にはアカダマでも看板に使っていた春日杉の大きな切り株に「ことのまあかり」
の名前が。

この杉ははるか昔、春日大社の神官で護国神社の宮司を務められた永山さんから
私の父が頂いたもので、樹齢はおよそ800年と聞いています。
一歩店内に入るとフルコトさんの奈良にこだわった雑貨が迎えてくれます。



そして店内にはアカダマでも飾っていた写真や版画がいくつかそのまま壁にかかっていました。
アカダマの店のイメージも保ちながら「ことのまあかり」さんの個性もしっかりと主張しつつ
全体として調和のとれた落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
素晴らしいお店へと見事に変身を遂げていました。
正直に、素晴らしいセンスに感心しました。
本当にいい人たちにこの店を使ってもらえて安心しました。
私はコーヒーとホットケーキをいただきましたがどちらも大変おいしくいただきました。
私がいてる間にも次々とお客さんが入ってきて、幸先の良い出だしだと思います。

これから、この店を切り盛りしていくのは、大変なことでしょうが
どうか頑張ってと祈りつつ店を後にしました。
また、たびたび訪れたいと思います。
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