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奈良時代が天武系の天皇の時代というのは違うのではないか。

持統天皇にとって、天武の血筋が問題なのではなく、要するに単に我が子、我が孫の皇位を継がすことがすべてだった。

そもそも、持統天皇は天智天皇の娘です。そして天武にはざっと10人妃がいます。

持統が天武を愛していた、なんて勝手な想像で、まったく愛情なんかもっていなかった。吉野に行動を共にしたのも、壬申の乱で行動を共にしたのも、成り行き上やむおえなかったから。

だから、天武との子だから皇位に就けたかったのではなく、自分の腹を痛めた子であるから皇位につけたかったと、考えた方が自然かもしれません。

だからこそ、我が子のため天武の血を分けた皇子である大津の御子を死に追いやった。

そして元明天皇も草壁の御子の妃であると同時に天智の子であることも重要です。

 

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