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私が高畑の本を書こうと思い立ったのは、
高畑の産土神社である鏡神社の宮司であり、
国学院で折口信夫門下として民俗学を学んだ
梅木春和氏が執筆された「高畑近郷伝説集」を見せて
いただいたことに始まります。
梅木家は春日の南郷禰宜で、鹿島から武御雷神が春日に
お出でになるときにお供してきたとされる中臣時風・秀行兄弟の
お供として同行した紀乙丸の子孫と言われています。
明治に至るまで1200年にわたって春日の神職にあった家柄です。
その梅木氏が赤乳神社・白乳神社にも触れています。
地元の人は両社を親しみを込めて「アカチツアン・シラチツァン」と呼んでいました。
「能登川の上流に一ノ井を挟んで白乳・赤乳と言う二つの小祠があり、
共に春日の末社になっている。
一ノ井は大祓いに際しての春日祀官の禊場であった。
その時に祀る神が固定して白乳社となったものであろう。
赤乳社は百毫寺領内であり、5月15日が祭日で、数年前までは宅春日神社の
氏子から神饌を調えて早朝から運び、春日から神職が来て祭典をした。
女性の臍から下を護る神さんだと信じられて、かつては盛大信仰が集まった。
赤い小さな紙の旗に、婦人の名を書いて奉納する風がある」と
昭和42年に書かれています。
近くにありながら行く機会もなく今まで過ぎていましたが、
毎日の散歩の足を延ばして行ってみようと思い立ちました。
行けばわかるだろうと、しっかり調べもせず、とにかく柳生街道沿いらしい
と歩き始めて、飛鳥中学を過ぎて、大杉教会までくると道の北、
木立の中に社を見つけました。
意識して探していなければ気が付かなかったでしょう。

森の中にひっそりと佇む白乳(しらち)神社、級長戸辺命(しながとべ)を祀る。
淡島(あわしま)神社(和歌山)とも関係すると言われています。
女性の腰から上の病気を治すと言われる。
この近くの赤乳神社があるはずと、柳生街道をさらに進みましたが、
行けども行けども見つからず、
その日は柳生街道から妙見堂まで行って引き返しました。
そして帰り道、崖の下を見ると社が、あれこそ赤乳神社に違いないと
勇躍崖を降りて近ずくと、住吉神社。
この山の中に何故海の神である住吉さんが?
 

祭神は表筒男命(うわつつおのみこと)
   中筒男命(なかつつおのみこと)
   底筒男命(そこつつおのみこと)の住吉三神をお祀りされています。
近くを流れる能登川から砂を取り、春日祭の未(ひつじ)の砂置式に用いるとのこと。

住吉神社のすぐ横に西面して瑞垣があり、磐座が祀られてご神体となっています。
これが市ノ井恵比寿神社。祭神は事代主命。ご社殿はありません。

 
この辺りを市之井町と言います。
かつて市があったから市之井で恵比寿神社があると言うわけですが、
市ではなく一であり、能登川から一番目に用水を取得した
「一ノ井」であるとも言われ高畑の社家町に清水を引いていた重要な井路であったと
いわれます。
『古社記』に春日の神が神護景雲元年(767)に一ノ瀬に至ると
書かれているのがこの場所であるともいいます。

日を改めて、赤乳神社を探しに行きました。
百毫寺の近くと言うことで、百毫寺を目指しましたが、
山道をいくら行っても見つかりません。
少し不安になりかけた時、道からやや下がった奥に社殿を見つけました。

赤乳(あかち)神社です。

祭神は稚日咩(わかひめの)神。天照大神の妹君です。
女性の腰から下の病気をなしてくださる神です。
戦前までは多くの女性たちが紅白の餅を持って参拝していたということです。
社殿の前には水船があります。
帰りは道なりに進むと意外と近くに柳生街道へ出ました。
百毫寺から回ったのが間違いだったようです。
順序は逆になりましたが、柳生街道まで戻ったついでに、
春日大社の境内にある白乳・赤乳神社の遥拝所に回りました。
両者が飛び地境内に立地するため、遥拝者が境内に設けられています。


春日大社には61社の摂社、末社があると言われています。
摂社とは本社祭神の后神・御子神・荒魂・本社鎮座以前に同地に
祀られていた神、地主神、特別な由緒のある神を祭る社を
指すということです。
末社は本社の祭神と歴史的にも信仰的にも関係の深い神々を祀り
摂社に次ぐ社格を著すとされています。
白乳・赤乳社は中世庶民信仰により祀られた神で春日社の末社に
編入されたとされています。
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はじめまして
はじめまして。
4年ほど前まで本薬師東町に住んでいたものです(今の居住地は関東です)。
高畑にいました頃に、近所の古老に奈良町風土記を借りまして以来、奈良町の歴史に目覚め、今や家に奈良名所集、奈良名所八重桜、奈良曝、奈良坊目拙解、平城坊目考、平城坊目遺考、奈良奉行所記録、索引のみですが大乗院寺社雑事記なども家に揃えるほどの奈良歴史マニアになってしまいました。

自分で調査するだけでなく出力も、Wikipediaの執筆「鬼界ヶ島 (奈良市)」「勝願院」「村井古道」その他奈良関連項目78項目くらいを執筆しています。
自分のブログでも、まさに奈良にいた頃の居住地本薬師町にかかわる話題
https://blog.chizuburari.jp/entry/2019/03/31/165043
などを執筆しています。
この本薬師町にまつわる話題を、私が歴史にはまるきっかけを作ってくださった古老にもお伝えしたいと思い、また同時に、引っ越してしまったため入手できなかった「高畑近郷伝説集」の2巻以降が出ているならば入手する方法が知りたいと思い、昨日久しぶりに本薬師町近辺に来まして、古老や近隣住人の方の消息を尋ねてみたのですが、みなさんご高齢だったためこの2〜3年の間に亡くなられてしまったようで、きっかけをくださった恩人に成果を伝える機会を永遠に失ってしまい、寂しい思いをしていたところでした。

その悲しい経験をしたその晩に、宿で偶然こちらのブログを発見しまして、もうその後の経緯を聞く術も永遠に失われたと思っていた「高畑近郷伝説集」に言及されているのを見つけ、また赤穂神社に掲げられている地図内の「俊寛田」などの謎にも言及されているのをみて、とても驚いてしまいました。
すみません、突然押し掛けられたそちらから見ればなんのこっちゃだと思われるかもしれませんが、なんとなく古老の霊が引き合わせてくれた運命的なものを感じて、こうして連絡させていただいております。
ぜひ、いろいろと情報交換させていただければ幸いです、よろしくお願いいたします。

#時に、「高畑近郷伝説集」は第2集以降は出たのでしょうか?
こちずふぁん URL 2020/08/10(Mon)08:18:28 Edit Top
Re:はじめまして
こちずふぁんさま
コメントありがとうございます。
家にそれだけの書物を所蔵されているとは恐れ入ります。
「高畑近郷伝説集」は鏡神社の先々代にあたる宮司さんが書かれたものですが、
残念ながら書物の形にはならず、そのコピーが限られた方々に配られたようです。
私は先代の宮司さんの娘さんからいただきました。
その内容は大変興味深いもので、何とか一般公開できないかと思い、
出版をしようと考え、その準備を進めています。
私は、あまり人に取材するんが得意でなく、書物だけでしか調査できず、
十分踏み込んだものにはなっていませんが、とりあえず、公開すれば好事家の人のお役には立てるのではないかと思い、すでに原稿を仕上げ、出版社の方に渡し済みです。
ただ現今のコロナの事情で、出版は何時になるかはっきりしていません。
準備が整い次第又このブログでお知らせするつもりです。
今後情報交換いただきたくお願いいたします。

マスター 2020/08/10 19:22
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