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竹取物語は、『源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」
とあるように、日本最古の物語といわれ、9世紀後半から10世紀前半頃に
成立したとされる仮名によって書かれた最初期の物語です。

物語は、竹取の翁が竹の中から得た娘、なよ竹のかぐや姫が、
五人の貴公子の求婚に難題を出して失敗させ、
天皇の召しにも応ぜず八月十五夜に月の世界に去ると言う話です。

かぐや姫の求婚者の5人内3人「右大臣安倍御主人」、「大納言大伴御行」、
「石上麻呂」は天武、持統朝に仕えた実在の人物が登場します。

あと2人の内、石作皇子は「多治比嶋」、車持皇子は「藤原不比等」が
モデルと言われています。

この5人の人物はいずれも天武・持統朝に仕えた貴族であり、
さらに大伴、物部、阿部、藤原と皇親と言う古代よりの名門氏族でもあります。

そして大宝元年(701)に大納言大伴御行が薨去した後、
左大臣嶋多治比も同年に薨去、嶋の次に阿部御主人がしばらく最高位の右大臣、
次に左大臣となったのは石上麻呂、その後の政権の中心は藤原不比等と、
天武・持統朝の高官がほぼ順番に求婚者のモデルとして登場します。

5人のうち最も卑劣な人物として描かれる車持皇子は藤原不比等に
比定されることから車持皇子を「卑怯な人物である」と
書くことによって藤原氏を批判しようとしていると言う意見もあります。

しかし、弘前の医師である大橋氏の若き日の著作『私的 万葉集考』(平成5年発行)では全く違う考察をされており、私もこの説に痛く興味が引かれ、
ここに紹介したいと思います。

大橋氏は求婚者の一人として書かれる大伴御行の歌に注目します。

      大君は 神にしませば 赤駒の 腹這ふ田居(たい)を 都と成しつ

万葉集 巻19 大伴御行

「大君は神にしませば」という表現で壬申の乱に勝利した天武天皇は、
この時点で人から神になったと考えます。

そしてかぐや姫と言う名前から香具山を、そして持統天皇の歌を連想します。

   春過ぎて 夏きたるらし白たえの衣ほしたり天の香久山

    万葉集 巻1 高天原廣野姫

此の歌は普通、叙景歌と理解されていますが、長谷川櫂氏によれば、
白たえの衣は喪服を表し、この歌は天武の喪に長く服していた持統天皇が、
喪服である白たえの衣を脱ぎ捨て、自ら国政に取り組む決意表明の歌と解釈されています。

以上を踏まえて、竹取物語は天武天皇は人ではなく神であり、その妃、
持統天皇も神でなくてはならぬ。
その故にかぐや姫は天武・持統朝の人である高官の求婚、さらには天皇の求婚さえ断って、
神になって天に昇っていかねばならぬというわけです。
私もこの解釈には心惹かれます。他府県の方は知らず奈良県人の私としては、
都を奈良から山背へと移した光仁、桓武天皇は好きではありません。

ですから竹取物語は藤原氏の対する風刺と言った意味はなく、
古き良き時代であった天武・持統朝に対する郷愁を感じる氏族の誰かが、
その天武・持統の子孫が築き上げた奈良の地を離れた所謂天智系とされる
平安時代以降の天皇に対する皮肉を込めた物語であると、
私は勝手に解釈したい次第です。

 

 

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