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アカダマブログ
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案内を頂いたので初めて参加させていただきました。
漢国神社は「かんごう神社」と読み、近鉄奈良駅の近く、やすらぎの道沿いに鎮座します。
その由緒は古く推古天皇元年2月に大神君白堤(おおみわのきみしらつつみ)が
園神(そのかみ)を祀り、その後元正天皇の養老元年藤原不比等がさらに韓神(からかみ)
を加えて祀られたのが始まりとされています。
本殿は桃山時代の建築で県の重要文化財の指定されています。

しかしながら、この神社が世間に知られているのは
その境内にある饅頭の神様として知られる林神社の存在です。
林神社は日本に初めて饅頭をもたらしたと伝えられる林浄因を祀ります。
毎年4月19日に例大祭が行われ全国から菓子業者が集まり盛大に饅頭祭りが
行われることで有名です。
その林家の7世林宗二は戦国時代、町人には珍しい学者であり、日本の文化史上で
日本初の百科事典である「饅頭屋本節用集」
を刊行したことで、出版・印刷の祖神として貴ばれています。
その偉業をたたえるため「節用集まつり」が執行されており今年で41回目とのこと。
当日は祭典に引き続き講和として、天理大学名誉教授太田 登氏の
「奈良をめぐる近代歌人たち  
  ~会津八一と前川佐美雄~」という話がありました。

実はアカダマはこのどちらにも縁があり、会津八一さんが奈良で日吉館を定宿と
されており、その縁が戦後も引き継がれ、毎年早稲田の学生が夏に奈良日吉館
に長期滞在するのが恒例となっていました。
そして父の代。
日吉館のおばちゃんに朝、宿を追い立てられた早稲田の学生が
その日の行動を相談するのがアカダマというわけで、毎年のように
早稲田の学生が店に来てくれていました。
これは日吉館が宿を畳むまで続きました。その学生の中からは多くの学者が育っています。

今一人、前川佐美雄さんは当時朝日カルチャ―の奈良教室を主宰されており
毎週その帰りに生徒さんを連れてアカダマに寄られる習慣が
お亡くなりになる間際まで続いていました。
そんなわけで、今回の話しは特に興味深く聞かせてもらいました。

講話の後の直会で挨拶されたのが塩瀬総本家の方ですが、
実はこの塩瀬総本家こそが、日本第一番本饅頭所と足利義政から看板を許された
林家が代々塩瀬を家号として江戸で開業した菓子屋さんの末裔というわけで
春の饅頭祭り、この節用祭りには例年出席されています。


 
 
アカダマの後継店舗である「ことのまあかり」の生駒あさみさんが文を
そしてイラストは上村恭子さんで淡交社から出版された「天皇になった皇女たち」
という本がありますが、その本の中で紹介されていて私は初めて知ったのですが
この漢国神社の境内には白雉塚という塚があります。
この塚には元正天皇に吉兆として百済王より献上された白雉が埋められているとのことです。

まだまだ知らないことが多いことに気づかされた次第です。
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 今回のアカダマ会は、まず春日寺と思われる遺構を見ることで、
香薬師堂については場所が離れているので、
事前には行くかどうか決めていませんでしたが、
午前中に春日寺遺構、白毫寺、宅春日神、社新薬師寺、鏡神社と見て回って
午後2時。
皆さんに意見を聞いたところさすが奈良ソムリエの皆さん、
行きましょうということで、それから柳生街道に入って香山堂を目指しました。
ただ正確には場所はわかっていませんでしたので首切り地蔵を過ぎてから
かなり柳生街道をさ迷いましたが、ようやく高山神社にたどり着きました。


高山神社前の水船。正和4年(1315)奉納
「東金堂施入高山水船也」との銘文があります。
当時、興福寺は東西両金堂衆に春日山を管理させており
この辺りは東金堂衆大乗院門跡の管理するところでした。
この高山神社の近接して式内社の鳴雷神社があります。
その前には猿沢池に采女が身を投げた不浄を嫌って
猿沢池の主の竜王が春日山の高山に住処を定めたという竜池があります。
 
 
そこからも尚あちこち行きつ戻りつしながらようやく
それらしき場所にたどり着き、なお尾根を上りきったところ
にやや平らな場所があります。
 

苦労した分ようやく香山薬師堂跡を見つけたときは喜びも大きかったです。

この辺りが堂の建物があった場所です。
近くからは奈良時代初期の瓦が見つかります。
 
香山堂に関してはこのブログで3月16日に書いていますので、
今回は書きませんのでそれを参照にして頂ければと思います。

さて今回のフィールドワークを通じて考えさせられたことは、
この香山堂と言い、新薬師寺、春日寺が何故かくも衰えてしまったか?
奈良大学で論文指導にあたっていただいた先生に何度も言われましたが
史料の裏付けのない論文は小説だということ。
その意味で私の見解は小説ですが、桓武天皇の無作為の作為ということです。

奈良時代は天武系、平安時代に入って天智系に変わったという説。
これは私に言わせると、桓武天皇のプロバガンダ、あるいは当節はやりのフェイク
に乗せられた結果と思います。
このことは折に触れ何度も書いていますので繰り返しになりますが、
奈良時代は天武系というのは全く当てはまりません。
まず天武天皇の長子であり、壬申の乱の功績者である高市皇子が
母の生まれが尼子娘という地方豪族であるためという理由で皇位についていないこと。

同じく、天智天皇の娘太田皇女から生まれた年長の大津皇子が皇位につかず
鵜野讃良皇女の子草壁皇子が皇位についたこと。
この2点だけでも明らかですが、奈良時代はこの持統天皇の血筋につながるものだけが
皇位についてます。
天武系だから行為を継いだのではなく持統天皇の血を引く皇子のみが
次々と皇位を継いだ持統系というのが正しいのです。

それではなぜ世に天智系という言われ方がしたかと言う理由は、
桓武天皇の生まれの卑しさ故、自らの時代は前の奈良時代を引き継いだのではなく、
全く新しい新政権であると言うアピールをしたからにほかなりません。
それが天智系の復活であるというわけです。
丁度トランプ大統領がオバマ大統領の事績をことごとく否定するように、
桓武天皇は奈良時代の歴代天皇の事績を無視していきます。
遷都の理由の一つが南都の寺の影響を逃れるためと言われますが、
むしろ南都の寺の勢力を弱めるためと言い換えられると思います。
結果、藤原氏の氏寺である興福寺や春日大社のような有力な豪族や勢力の
後ろ盾のない寺院は衰えていきます。
こうして光明皇后ゆかりの香山堂、新薬師寺また聖武天皇に関わりのあったと思われる
春日寺は寺勢が衰えるに任されます。
白毫寺は天智天皇の第7皇子であり、桓武天皇の父である志貴皇子の山荘跡を皇子の没後、
霊亀元年(715)に元正天皇の勅願により寺院として創建されと言われますが
その白毫寺ですら決して例外ではないようで、平安時代に入って保護されたという
気配はありません。
かくして、香山堂や春日寺も荒れるに任されたと言うのが私の考えです。

奈良女子大の竹内 亮氏の研究によると、
春日寺に関する資料はわずかしかなく

1「日本文徳天皇実録」

延暦7年(788)に護命という僧が
涅槃経の請説を行ったという記事。

2 東大寺薬師院文書に出てくる土地の売券記事に
  春日寺田に関する記事が見れるこの
2点のみです。

1の資料により春日寺が8世紀末にある程度の寺格と規模を有する
 寺であった事が確認できます。

2の資料により春日寺が存在した場所が特定できます。

春日寺田地は添上郡春日郷「春日里」京東55里の地にあったと考えられ、
古代において「春日」と称された土地の中心部にあたると考えられます。


古代の寺地の多くは寺辺に寺地を取り巻くように存在したことが知られています。

一帯には「堂の前」、「ノボロウ」(登廊?)、「金芝」(金堂ノ芝)、「御門」、

「ブタイ」等、寺院伽藍を想起させる小字名が分布していたとのことです。

 現在もその地には土壇跡が確認でき竹内氏が
2007年に
現地調査した時点でも多数の瓦辺を確認したとのことで、
その瓦から建物は奈良時代のものと推定され、
 中世に至るまでに火災によって廃絶したものと推定されています。

 

『続日本記』

元明天皇は天平勝宝2(750)2月「春日酒殿」に行幸し、
 遣唐使の帰船と共に来日した唐人李元環に外従5位下を授けている。

酒殿は酒を醸すための建物で、これが離宮に付属していたものか、
春日寺の施設かは不明で、
春日社創設以前の春日社の存在を示すもか
とも考えられています。



 

『続日本記』

 光仁天皇の皇女酒人内親王、母は聖武天皇の皇女井上内親王が
 伊勢斎王
に卜定され、春日斎宮に権居した。という記事があります。

春日斎宮とは斎王が伊勢に下向する前に潔斎するためのが施設で、
この場所が果たして春日寺?あるいは春日離宮かは不明。

又「性霊集」の酒人内公主遺言に春日院において77日の経を
転読すべき場所としてみえる。

この春日院が春日寺と同じなのかは議論がありますが、
酒人内親王は志貴皇子の子である光仁天皇の子であり、
しかも聖武天皇の皇女である、井上内親王の子でもあることから
高円離宮でも春日離宮でも関係は深い人物です。


前置きの方が長くなりましたが、今回の目的地は高円高校の西側の
田が広がる場所です。
遠く御蓋山が北に臨まれますが、何時もの西から東を見た風景と違い
御蓋山の山容がはっきり見て取れ、古く和爾氏を始め古代の氏族が
南から拝礼した理由が感じ取れます。
そして従来飛火野を中心に考えていた春日野というイメージが、
既成観念にとらわれていたことも実感できました。
この場所からは遥か平城宮が一望でき、風光明媚な高燥の台地で
如何にも離宮が置かれたことが納得できる地域であることが肌で感じられます。

問題の土壇は右手前の草が茂った場所です。
予備知識がなければ何の変哲もないただの土の盛り上がり。
この場所が古代の寺院跡などとは想像もできなかったでしょう。

別の角度からで奥の叢です。
この場所に古代瓦が散乱しています。
 
この場所が奈良時代の何らかの建物の土壇であることは間違いありません。
ただこれだけで、直ちに春日寺跡と断定するには資料が不足で、
これからの研究を待たなければいけません。
しかし多くの文献がしめすようにこの御傘山の南の春日野台地が
聖武天皇、志貴皇子とゆかりの場所であり、いかにも離宮が置かれるに適した
場所であるという確かな実感は得ることができました。

我々は次の目的地、香山寺跡を目指します。

 

白毫(びやくごう)寺は天智天皇の皇子、光仁天皇の父志貴皇子の離宮を
 寺としたと伝えられています。

志貴皇子(668~716)はその子光仁天皇が即位した宝亀元年(770)に
 「御春日宮天皇」の尊号を得て田原西陵に埋葬された。

和銅元年(708)9月には元明天皇が「春日離宮」に行幸しており、
 この時志貴皇子は三品の位をもらった。

 しかし、志貴皇子はその後、官僚としては目立った実績はなく、
 政治よりは万葉歌人として知られる文の人でした。

万葉集巻1 51

 采女の袖吹きかヘす明日香風

都を遠みいたずらに吹く

 

万葉集巻2 霊亀元年秋9月、志貴皇子の薨リましし時の歌

 高円の野辺の秋萩いたずらに

咲きか散るらむ見る人無しに

 三笠山野辺行く道はこきだくも繁(しじ)に荒れたるか久にあらなくに

  高円の尾上の宮は荒れぬとも立たし君の御名忘れめや
 
この志貴の皇子の離宮が春日の宮と呼ばれる離宮ですが、
その存在を示す資料は乏しく、歌の中ぐらいで高円山の麓に
あったことぐらいしかしかわからず、場所も時期も不明です。

今回のアカダマ会は私が、奈良女子大の竹内氏の論文を読み
春日寺の存在を初めて知り、春日寺とはどういう性格の寺なのか、
春日離宮と高円離宮との関係は?と、多くの疑問が持たれどうしても
現地を訪れたく実現したものです。

 

 

 

5月の連休も後半4日にアカダマ会では観光客で賑わう奈良公園の喧騒を避けて
極めてマニュアックなフィールドワークを行いました。
目的は春日寺遺構と香山寺の遺構探索です。
 古代における春日の地は天理までを含めた広義の春日と、狭義の春日野台地に広がる春日野を
意味しますが、狭義の春日を支配していたのは春日臣。
後には大春日を称し、同族として大宅臣、栗田臣、小野臣、柿本臣、櫟井臣らが挙げられます。

 春日という地名から今では春日大社一帯。又、平城京ができた以降はどうしても春日山麓の西側に広がる春日野をイメージしますが、古代の春日野はもう少し南側の地帯を広く含んでいました。
 

 

この春日の地は古くから聖武天皇の高円離宮、志貴皇子の春日離宮。
長屋王も春日の地に宮を有していたことが木簡から知られ、天皇の宮や
皇族の宮が存在したことで知られています。

高円離宮に関しては、
 天平宝字2(758)に詠まれた「高円離宮處」「野上宮」〈高円の野〉で遊猟したときの歌に同天皇の離宮と考えられる高円の宮を詠んだ歌があります。

万葉集巻20  興に依りて各々高円の離宮處を思ひて作る歌
4506

高円の野の上の宮は荒れにけり
        立たしし君の御代遠そけば

4507

高円の尾上の宮は荒れぬとも
        立たし君の御名忘れめや

高円高校は昭和58年に開校しましたが、その前昭和56年より発掘調査が行われ、
出土した物や遺構から、第45代聖武天皇が晩年に造った高円離宮跡ではないかと
考えられています。


 

 

 


 

 

 

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自己紹介:
奈良市にあった喫茶店『可否茶座 アカダマ』の元マスター.2013年奈良大学通信学部文化財歴史学科を卒業。奈良まほろばソムリエ検定第1期ソムリエ取得。第1回小倉百人一首検定1級合格。
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