いつのほどにか、皆がそう言うようになって、会の名前になった。
考えてみると、店をやめたので、「アカダマ」と言う名は、この会でしか残っていないわけで、、これはこれでいいのかも。
もともとは、もう2年前になりますが、「奈良まほろばソムリエ検定」のソムリエ合格者の第1回(たぶん2回目はないと思われる)でテーブルがたまたま一緒だったグループで、その後もまた集まりましょうということからスタートしました。
当初は、だから6,7人。
その後、このブログを通じて、入りたいと言う希望者がいたり、前に私がいた、ソムリエ友の会の広報部会のメンバーもくわわったり、紹介があったりで今はその倍以上。
今日は私が奈良大学のスクーリングで都合が悪く、2か月ぶりの例会。
参加者は15名。これは店のスペースでは限界を超えた人数です。
もちろん喫茶としては、20名以上は入れますが、集まりではそうはいきません。
でもどんどん減っていくことを思えば結構な話です。
今回も、シリーズとして3回目の日本書紀。
倭の五王あたりの時代についてです。
詳しい内容は、私はまとめるのが苦手で、http://koza5555.exblog.jp/ 「奈良・桜井の歴史と社会」ブログで、きっと書いてもらえると思うので、省略です。
ただ、あらためて日本書紀は奥が深いし、古代史の宝庫と言う思いを強くしました。
卒論を終えたら、もっとじっくり読みたいと今は思いますが、たぶん卒論が終わったら読む気力は残っていないかもしれません。
そのなかで印象に残った話は、「大日下王」ひょっとしたら王朝かもしれない河内の皇子です。
ともかく崇神から武烈までの王朝は、何でもあり、時代の前後の混在。そのなかでどれが真実か、はたまた後の世の挿入か。
汲めども尽きぬと言ったところです。
でも残念ながら、今はこの時代には深入りするわけにはいきません。
それにしても、今日も言われてしまいました。
「今だかってだれも解明することができないテーマによく取り組みましたね」
う~ん、甘かった。最初に先生がこのテーマは難しすぎる、史料がない。先行研究もない。と止めてくださったのに。
しかし、賽は投げられた。いまさら引き返す時間は残されていません。
無謀にも、突撃です。
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