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697年の5月、吉野の盟約で誓詞を述べた順番はまず、草壁、次に大津、そして高市皇子。
第1子はもちろん高市皇子である、しかも壬申の乱で父天武を助け活躍したのは高市皇子のみである。
にもかかわらず、順番で3番目ということは、なによりも血筋が重んぜられたということの他ならない。
草壁、大津は血筋は同じ天智、天武の血を受けているが年齢が草壁が1歳上だということの順番である。
しかし、大津という名前でもわかるように、大津皇子は天智にも高く評価され、後継者と目されていたようである。
天武も大津の才能を評価していた。
であるからこそ、天武の死のその直後に大津は持統の手によって殺されてしまったのである。
能力があったゆえの悲劇といえる。
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