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話は行ったりきたりしますが、こうして、奈良時代が始まりました。
その参謀は不比等、旗頭は天智天皇の子である元明天皇。
不比等は、天智から天武によって簒奪された王朝を元に正し、合わせて天武によって滅ぼされた中臣家の無念を晴らす。
そのための天武の都である藤原京からの遷都であり、文武、元明と、天智の不改常典による皇位の継承であったわけで、その望みがすべて果たされたわけです。
天武系の皇子は完全に臣下となり、天智の血筋のみが皇位を継承するというルールが確立されました。
天武の皇子は遷都の時点で大部分は亡くなっていましたし、忍壁皇子、穂積皇子は知太政官事という、極端に言えばわけのわからない官職に祭り上げられていました。
知太政官事というのは、律令の規定にはありません。
太政官の事を知らしめる、本来は太政大臣という官があります。
最初の太政大臣は大友皇子、次が高市皇子です。定員は一人、帝の師範ときていされ、人無くば闕く。
この官につけば官の最高実力者ということになりますが、知太政官事では権限があいまいです。
こうして、天武の皇子を言わば囲い込んでしまったわけです。
そしてその官位も穂積親王が亡くなったあと、不比等が亡くなるまで空位となります。
不比等はすでに右大臣、しかも左大臣は空位であり、最高実力者となっていたので、お飾りは必要なくなったということです。
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