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実際に首皇子の母代わりでもあったことも、母元明天皇からの強い要望、それに不比等の願いもあったでしょうから、進んでまでとは言わないまでも36歳まで独身であったこともあり、それなりの覚悟はあったと思われます。

しかし、支えてくれるはずであった、不比等、母、元明天皇が720年、721年と次々と亡くなります。

その時点で政権の中枢をみると、右大臣であって、そのときの最高位であった不比等の代わりに、一時とだえていた知太政官事が復活し、天智の子である舎人親王がその地位に就きます。

そして、天武の子である新田部親王が知五衛授刀舎人事。

721年には、正三位大納言であった長屋王が従二位右大臣(左大臣は空位)となり。

皇族が政権の中枢を占める形となりました。

その時藤原氏はとみれば、長男の武智麻呂、房前が従三位中納言。

宇合、麻呂が従四位にすぎません。

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