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勢夜陀多良比売と大物主の命の間にできた伊須気余理比売。

この組み合わせは奈良市にある率川神社の祭伸と同じです。

この神社のゆり祭は有名ですね。これこそこの神武天皇の妻問いの古事に基づくお祭りです。

従って非常に古いお祭りで大宝令にすでに記載されています。

これだけでも、少なくとも飛鳥時代には神武天皇の古事は記憶されていたということです。

さてと、徐福はBC278~208の人です。亡くなった年がわかっているのが不思議ですが、ここではまあそのことは重要ではないのでそのまま信じるというか、ようするにその頃の人であるとさえ理解ください。

前に書きましたが、秦の始皇帝に不老長寿の妙薬を持ち帰るように命令され東を目指した、徐福が宮崎にたどり着き、その子か孫が東を目指した。もちろん本人でもいいわけですが、古事記に寄れば孫ということになります。それも要するにその頃に橿原にたどり着いたということが重要です。

従って三輪の現地人の娘と結婚して橿原に定住(あえて即位とは言いません)したのが紀元前3cころ。

ここから大和王権が始まったと理解されます。だから、はつくにしろしめす大王。

そこからいわゆる欠史8代という天皇が続きます。欠史というのは、記述がないということであって、架空の名前ではないと思います。即位した宮はきされていますし、その宮の名で大和王権の大和における拡大がわかります。

最後に開化天皇、率川宮で奈良市というか、奈良盆地の全域を支配下に置いたと理解できます。そこに率川神社があるのも偶然ではないでしょう。

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