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まず日向を発って筑紫へ、それから、豊国の宇沙そこでは、宇沙都比古、宇沙都比売の2人が宮を立て大いにご馳走をした。

そこから、筑紫の岡田の宮に1年。阿岐の国の多祁理の宮に7年、吉備の高嶋の宮に8年、明石海峡を過ぎて浪速で登美能那賀須泥毘古と戦うわけですが、それまでこのように長い年月をかけています。

これは神武の一行が戦闘集団ではなく、いろんな人を含んだ集団であることを表していると思われます。

だから目的地に向かって一直線ではなく、こういう行き方になったということです。

当然この情報は大和にも伝わりますから、ナガスネヒコの一行が迎え撃つ準備をして待ち構えていたわけです。

この後大和に入って橿原の地で即位するわけですが、まあ即位といっても要するにその地に腰を据えた程度のことでしょう。

そして

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