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アカダマブログ
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  古墳というのは、そこを歩いたからといって何がわかるというものでは
ありませんが、現場を知らずに、文献だけで良いというものではないと思い
今回の奈良ボランティアガイド主催の催しに参加しました。

コースは近鉄西大寺を出発して、称徳天皇陵ー成務天皇陵ー日葉酢媛陵ー瓢箪山古墳
ー添御縣坐神社ー平城天皇陵―平城旧跡―磐之媛陵ーコナベーウワナベ古墳―
不退寺を経て近鉄新大宮駅で解散という全行程約10kのコースです。
  

総勢200名余りを各10名程度に分け、そこへ一人づつガイドがつくという形です。
最初は一人で参加のつもりでしたが、ソムリエのアカダマ会から2人が一緒に
参加してくれました。
  やはり一人より仲間が一緒のほうが数倍楽しく歩きことができ感謝です。

我々3人を含めて我々のグループは12名。
そのうち女性が4名、男性は大体同年代かと。

天候もよく、気温もこの時期としては大変暖かく絶好のコンディションでした。
道中では私として今年初めての鶯の初音も聞くことができました。

今回の佐紀古墳群を歩いての私の感想は、まず第一に何故かくも密集して
この同一地域に古墳が造られ続けたのか?ということです。
少し言葉は違いますが軒を接してという感じで古墳が近接して作られています。
この地域にどうしても作らねばならないという理由が理解できません。
以前にも書きましたが、古墳は見せるためのものであるとすれば誰にか?
ここから考えられることは、古市・百舌古墳群が海上からの視点、
瀬戸内海の西国の国々を意識して作られているとすれば、
佐紀古墳群はおそらく日本海側の国々からの視点が考えられます。

次に古墳を見ての感想とは少し違いますが、素晴らしい天候とは裏腹に
やや感傷に囚われるものでした。

最初に見学した古墳である称徳天皇陵とされる佐紀高塚古墳は考古学的な調査が
行われていないので築造年代を推定することは難しいですが、4~5世紀
ぐらいで、いずれにしろ奈良時代の最後の女帝である称徳天皇の陵墓ではありえません。

称徳天皇は聖武天皇と光明皇后の間に男子が育たなかった結果、
かって例のない女性の皇太子として持統天皇の血筋の護持の責任を
そのか細い双肩に担い生涯独身を強いられた結果、
当然ながら子をなすことはできず、
その生存中には後継者を決めることができませんでした。

 その死後、聖武天皇の子である井上内親王が嫁いだ白壁王を天皇とすることにより
その子で、聖武天皇の血を引く他戸皇太子にその血筋の護持を頼ったのですが、
62歳で思いもかけず天皇たる教育も自覚もないままに天皇の地位についた
光仁天皇にはまったくそのことは念頭になく、何の躊躇もなく他戸親王を廃嫡し
やがては母の井上内親王とともに抹殺してしまいます。
 
そしてその子であり、本来出自から言って天皇に即位することはあり得ない桓武天皇は、
その即位の正当性を喧伝するために、天智天皇の血筋の復活を掲げ、自らがあたかも
新しい王朝の創始者であるかのごとくふるまいます。

こうしてまつりごとの権利を手に入れた桓武天皇は、もう一つの本来の祀り事から
天武・持統の系列を外してしまいます。

こうして後の世まで奉幣すらされることなく、称徳天皇の御陵は
その場所さえ伝わることなく世の中から忘れ去られ、縁もゆかりもない古代の古墳を
今に至るまで、宮内庁の管理のもと称徳天皇陵とされてしまいます。
平城天皇陵もしかりです。時の政権に逆らったがために本当の墓処の存在は
現在に至るまで伝わってっていません。

からっとしたのどかな春空のもとを歩きながら、いささか感傷的な感想を抱いた
というわけですが余談です。


 昨年百舌・古市古墳群を歩き、2月には馬見丘陵古墳についての講演会。
そして今回の佐紀盾列古墳群を歩いて、古墳時代の畿内の主な古墳群を
 見て回ることができましたが、その意義付けについては大和王権について
さらなる勉強の必要性を感じさせられました。
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借りていた本を返しに奈良大まで行ってきました。

丁度今年度最後のスクーリングが行われていました。
わずか2年前ですが、もうずいぶん昔のような気がします。
授業風景をのぞき見て、実に懐かしかったです。
わずか2年でしたが本当に充実した2年間でした。

半世紀前に卒業した大学では、勉強した記憶も充実感も覚えていませんが
奈良大の2年間は本当に勉強したという手ごたえと、勉強することの楽しさを教えてくれた
私にとっては実得難い経験でした。
学問をするという意味、方法を初めて知ったとも言えます。

ソムリエの会ではボランティアガイドや講演活動等をしているようですが
奈良大で学んだことによって、自分の知識のなさを知り、本当の研究者の実に地道な
根気のある研究活動を知った今、自分程度の知識で、ガイドをしたり、講演をすることは
余りにもおくがましくてできません。

私なりに、なんとか社会貢献をしたいとは思っているのですが,
未だこれを社会に還元する方法がまだわかりません。
奈良大の学食で久しぶりに食事を取りながらいろいろ考えさせられました。




10周年の記念パーティが奈良ロイヤルホテルで開催されました。
 
最初に天理大学の飯降学長より開始の挨拶の後、アラビア語クラスは、アラビア語の夜寸劇、
朝鮮語学科は、朝鮮語によるアリランの斉唱、中国は学科は二胡の演奏をまじえ中国語による
ふるさとの合唱,我がドイツ語クラスは、ドイツ語でのローレライ合唱など
各語学クラスによる色んなパフォーマンスが繰り広げられました。

その内容もさりながら、こんなにも多くの語学クラスがあることにも驚きました。

参加者は100名あまり、ハリーポッターのランドルフ校長が登場して盛大な大抽選会。
そして最後に校長が皆に四月からも必ず授業を受けるという魔法をかけてパーティーは終了しました。楽しい集いは終わり四月からはいよいよ新学期。
そして六月にはドイツ語検定、私も前回は受ける前から、まだ受験する力はないと感じながらでしたが、二度続けて失敗する訳にはいきません。
ドイツ語勉強にこれからは気合を入れ直して頑張ります。
 
 
 
  
アカダマ閉店以来、なかなか踏ん切りがつかず、そのままにしていたアカダマの店舗ですが、
シャッターを閉めたままにしておくのも、商店街にも悪いし、今年から思い切って貸すことにしようと思い、不動産屋にその旨を伝えました。
だからと言ってそうすぐに借り手が現れるとは考えずに、のんびり構えていたら、ほどなく借りたいという人がいると連絡がありました。
予想以上に早く、心の整理がつかぬまま、とりあえずどういう借り手なのか聞いたところ、
奈良大好きという女性ばかり5人のグループで、それぞれが、奈良に関係した活動をしながら
奈良北町で奈良にこだわった、雑貨を扱っている「フルコト」という店とのこと。

 そういう店なら、アカダマのイメージをそう損なわないのではないかと思い、また実際お会いしてまず間違いないと考えお貸しすることにしました。
 しかし、いざ貸すとなったら、店に置いていた色んなものの処理など随分と問題が出てきましたがこの際すべてを振り切って、前に進むしかないと、決断しました。




 
  
フルコトさんのホームページはこちらです。

フルコトhttp://www.furukoto.org/

ことのまあかりhttp://www.furukoto.org/kotonomaakari/


  
後継の店は「ことのま あかり」と名付けられ、雑貨カフェというスタイルになるそうです。
オープンは3月27日(金)11時とのことです。
私にもどんな店になるのかまだIイメージがつかめません。
でもせっかくですから、ぜひ成功してほしいものです。
皆さんも、ぜひ1度お店をのぞいてみてください。
荷物の整理をしている現在のアカダマはこんな感じです。

  
  
  
  
  
  
  
  
  
  
奈良女子大で行われた表記の研究集会へ行ってきました。
私は女子大付属小学校の卒業生ですが、入学した時は女高師付属で
入学してから学制改革で名前が変わりました。
その当時の小学校は今の女子大の南門を入ったところにあり、門は当時のままです。

そして正門の右側が付属の中、高の校舎で、今の記念館は講堂として行事に使われていました。

その後小学校は学園前に、中高は紀寺に引っ越し、私の母校の思い出はむしろ
今の女子大のほうにあります。
でも用事もないし、長いこと訪れることはなかったのですが、仕事を辞めてから、
小学校の同窓会や、ドイツ語の検定また、講演会としばしば訪問する機会が増えました。

さて今度の研究会のことは新聞で知ったのですが、教室は超満員、
廊下から聞く人がいたりと大盛況でした。
午前中に4人の講師の発表、午後からは5人の講師と、
朝10時から夕方6時までみっちりとありましたが、
私はとてもそこまでは無理で今回は午前中のみ拝聴しました。

今回のテーマは「古代都城のその後と 古都へのまなざし」と名付けられ、古代の都城に関して
様々な角度からのアプローチがなされました。

最初が奈良女子大の舘野和己教授の問題提起としての「平城京とその後」
平城京が遷都後どのように変化したか、あるいは人々からどのように見られたか。
そして遷都後のその地がどのように変化したかあるいは残ったかと言ったことについての話。


それから、奈良県立万葉館の井上さやかさん、奈良女子大の、岡崎真紀子さんの文学、
主に和歌で見る古都へのまなざしについての発表でした。
井上さんは、その専門である万葉集から中世文学にみえる飛鳥についての話。
岡崎さんからは平安後期和歌から見た平城京についての話を聞きました。

いずれもそのテーマにふさわしい、文学から見た古都へのまなざしということで
大変興味深く拝聴しました。

順番としては3番目が文化財研究所の山本崇氏の「その後の藤原京」

平城京、飛鳥と違って、短い都であったがゆえに、その痕跡が少ない藤原京については
その旧跡がどこにあったのかが、論争になった時期もあり、喜田氏による長谷田土段が
その場所と比定された時期もあった。
いずれにしろ、早く消え去った藤原京はその後もあまり取り上げられなかったことなど
紹介された。

ところで、私は山本氏が中学生時代から知っており、今こうして、山本氏が演壇にあり、
私がきいていることが、まさに感無量で、年月の経過を感じました。

文化財研究所と言えば、私が大学時代アルバイトに通い、その当時の研究所には、
所長の坪井清足氏、町田章、工藤圭章、佐原真、田中啄氏などが、
作業着に腰に手ぬぐいをぶら下げて発掘に従事していた風景が走馬灯のように思い出され
ました。


 
 
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