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奈良女子大で行われた表記の研究集会へ行ってきました。
私は女子大付属小学校の卒業生ですが、入学した時は女高師付属で
入学してから学制改革で名前が変わりました。
その当時の小学校は今の女子大の南門を入ったところにあり、門は当時のままです。

そして正門の右側が付属の中、高の校舎で、今の記念館は講堂として行事に使われていました。

その後小学校は学園前に、中高は紀寺に引っ越し、私の母校の思い出はむしろ
今の女子大のほうにあります。
でも用事もないし、長いこと訪れることはなかったのですが、仕事を辞めてから、
小学校の同窓会や、ドイツ語の検定また、講演会としばしば訪問する機会が増えました。

さて今度の研究会のことは新聞で知ったのですが、教室は超満員、
廊下から聞く人がいたりと大盛況でした。
午前中に4人の講師の発表、午後からは5人の講師と、
朝10時から夕方6時までみっちりとありましたが、
私はとてもそこまでは無理で今回は午前中のみ拝聴しました。

今回のテーマは「古代都城のその後と 古都へのまなざし」と名付けられ、古代の都城に関して
様々な角度からのアプローチがなされました。

最初が奈良女子大の舘野和己教授の問題提起としての「平城京とその後」
平城京が遷都後どのように変化したか、あるいは人々からどのように見られたか。
そして遷都後のその地がどのように変化したかあるいは残ったかと言ったことについての話。


それから、奈良県立万葉館の井上さやかさん、奈良女子大の、岡崎真紀子さんの文学、
主に和歌で見る古都へのまなざしについての発表でした。
井上さんは、その専門である万葉集から中世文学にみえる飛鳥についての話。
岡崎さんからは平安後期和歌から見た平城京についての話を聞きました。

いずれもそのテーマにふさわしい、文学から見た古都へのまなざしということで
大変興味深く拝聴しました。

順番としては3番目が文化財研究所の山本崇氏の「その後の藤原京」

平城京、飛鳥と違って、短い都であったがゆえに、その痕跡が少ない藤原京については
その旧跡がどこにあったのかが、論争になった時期もあり、喜田氏による長谷田土段が
その場所と比定された時期もあった。
いずれにしろ、早く消え去った藤原京はその後もあまり取り上げられなかったことなど
紹介された。

ところで、私は山本氏が中学生時代から知っており、今こうして、山本氏が演壇にあり、
私がきいていることが、まさに感無量で、年月の経過を感じました。

文化財研究所と言えば、私が大学時代アルバイトに通い、その当時の研究所には、
所長の坪井清足氏、町田章、工藤圭章、佐原真、田中啄氏などが、
作業着に腰に手ぬぐいをぶら下げて発掘に従事していた風景が走馬灯のように思い出され
ました。


 
 
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