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アカダマブログ
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今年は酒詰仲男先生没後50年と言うことで、同志社ギャラリーで企画展が9月26日から11月8日まで「縄文貝塚研究と酒詰仲男」と言うタイトルで行われています。
それに合わせ、10月11日に記念講演会が同志社大学明徳館1番教室にて行われました。



一般の方には同志社考古学では森浩一さんが有名ですが、森さんは酒詰先生の弟子であり、
酒詰教授亡き後の後任教授です。

酒詰先生は昭和40年に、私が同志社に入学した2年目に亡くなられ、私は学部も違いますので直接謦咳に接したことはありません。
ただ私の周囲には酒詰先生の教え子が多くおられ,考古学研究会の幽霊部員であった私ですが、
そういった多くの先輩方に教えを受けたことは確かです。
その中でも本日の講師の一人である白石太一郎さんは当時院生で、
見学会に何度も連れて行っていただきました。

白石太一郎さんの講演のテーマは「酒詰仲男先生と初期同志社考古学の群像」
酒詰先生の同志社教授時代の研究活動の思い出、ゼミの多くは大徳寺の塔頭でモミジの名所でもある先生の仮寓、高桐院で行われたこと。
そして先生が育てた多くの研究者、帝塚山大学教授の堅田 直氏、田代克巳氏、
札幌大学教授石附喜三男氏、そして後継者である森浩一氏、
 (もちろんその中には白石氏自身を含む)等々の諸氏について話がありました。

さらに、総合地球環境研究所教授・カリフォルニアバークレー校教授の羽生淳子先生からは
「縄文生態研究と酒詰仲男」と言うタイトルでの講演で、その縄文貝塚の分野での詳しい研究活動の報告、酒詰氏の労作「日本貝塚地名表」が日本のみならず外国の研究者にとっても研究の指針であるなどの報告がありました。

 
 
甲南女子大学名誉教授で、酒詰仲男先生のご子息である、酒詰治男先生からは
「縄文貝塚研究と酒詰仲男」と言うタイトルで講演があり、酒詰先生の人となり。
あるいは、詳しい経歴などの話がありました。
若い時代は文学青年であり同人誌への投稿、あるいは「同志社文学」の発行などの活動。
また、戦前には、開成中学の教員であった時,教壇から特高により、拘引拘束され、
激しい拷問を受けたこと、あるいは戦後東大人類学研究所の嘱託時代、
江戸城旧本丸の貝塚発掘中に見学の来られた昭和天皇へ説明役をされたことなど
 今まで知らなかった多くの側面を知ることができました。

 
会場である同志社大学の明徳館1番教室は、当時のマスプロ教育では数百名の学生であふれていた大教室で、、私もそこでは経済学概論や、経済原論など多くの一般教諭科目を受講した教室で、今は改装され、その規模も半分程度とはなっていましたが、その教室の椅子の座って講演を聞けたことは大変懐かしく感慨深いものがありました。
 
 
また、この講演会に合わせ、私の考古学研究会同期が卒業以来久しぶりに集まり、
旧交を温める機会も持て実に有意義な一日でした。
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アカダマ会は奈良まほろばソムリエのメンバーの会ですから当然、皆奈良好きであり、
歴史好きです。
ただ歴史に関してはどうしても奈良に関係の深い古代史に偏りがちでした。
そこで今回はアカダマ会は講師に氷室神社分化興隆財団代表理事の大宮守友氏を
お迎えして、少し違った時代の話をお願いしました。

内容は「江戸時代前期の奈良奉行」というテーマで奈良奉行所の記録に基づき
奈良奉行所の業務内容について詳しく解説をいただきました。

その記録として取り上げられたのが「町代日記」主に寛文年間を取り上げ、
その日記から伺える奉行所に業務についての解説です。

その一例として在方吟味から死者がでた事例をいくつか取り上げられました。

また支配違いの金銀出入の記録から金銭の揉め事の事例。

あるいは、面白いところでは、勘当についての申し出の事例も取り上げられました。
「町代日記」には驚くほど多くの勘当に関する記載が見受けられました。

このように「町代日記」から奈良奉行所が携わった多方面の事例が読み取れ、
奈良奉行所の多岐にわたる業務内容が詳しく読み取れます。

今回のアカダマ会の参加者は15名。
「ことのまあかり」さんをお借りしての例会としては満員の盛況でした。
 
お話を聞き終わって奈良奉行所の業務内容については理解が深まりましたが、
幕府における奈良奉行所の位置づけや、奈良奉行の奈良に対して果たした役割
例えば川路聖謨と言った名奉行の業績等といった奈良町と奈良奉行所と言った
大きな観点からの話をお聞きしたかったというのが正直な感想です


このアカダマ会では、「ことのまあかり」さんのご厚意で、
私がコーヒーを毎回淹れます。

店を辞めて人前でコーヒーを淹れる機会は唯一この、アカダマ会。
貴重な機会です。

こうして旧アカダマの懐かしいカウンターでコーヒを入れていると
様々な思いでが頭をよぎります。

「ことのまあかり」さんからは私がコーヒーを淹れるイベントを
考えましょうと言っていただいています。
 いつの日か、実現するかもしれません。
それではAuf wiedersehen.
 ベルリンの人口は現在350万ですがかっては400万あったのが第2次世界大戦、
その後の東西ドイツへの分割を経て落ち込み、今350万まで回復してきたとのことです。
いずれにしろドイツ最大の都市であることは変わりありません。
しかし面積は東京23区の1.5倍。
都心部には多くの公園や水路、湖があり、
東京の過度の集中に比べゆったりとした街です。
しかも歴史的にドイツ帝国の首都となったのが1871年とほぼ江戸の歴史と同じで古い由緒があり、歴史的な遺産も多くあります。
この町を観光するにはとても1,2日では足りません。
今回のツアーでは町の表面をざっと見ただけに終わりましたが、
とりあえずバスからのベルリン市内観光を午前中で終えて、午後は自由行動。

まず、ベルリン屈指のデパートKaDeWe(ケデヴー)へ 、
買い物の後は最上階にあるセルフ食堂で食事。
 セルフですので、自由に好きなものを選んでレジに並びますが、
お皿に何種類もとったものをどうして精算するのかと思えば、重さで計算でした。
さて腹ごしらえも済んだので、大聖堂付近から出る遊覧船に乗るためにバスに乗ることにします。
自由行動なので添乗員さんはいないし、自分たちですべてやるしかありません。
バスの乗り場探し、どのバスに乗るか、乗ったらどこで降りるか、切符はどうするのか?
すべてが手探りといった感じですが、こうやって自分で苦労して行動するのも良い思い出になります。
 やっとのことで大聖堂まで行きつき、遊覧船に乗り込んでベルリン市内を船から観光です。

      

朝見学した博物館島を船から眺めたらこんな感じで、まさに中州に浮かぶ島、あるいは船のようです。

       
ベルリン中央駅です。
帰りは電車でということでSバーンに乗り、この中央駅も通りましたが、Sバーンに乗るのも乗車券の買い方がわからず苦労していたら、ドイツの人が親切に買い方を教えてくれました。
私が電車の乗るときは大きなスーツケースを抱えて階段を上っていると、
さりげなく、自然にスーツケースをもって上まで運んでくれるし、
ドイツでは皆が自然に親切にふるまってくれます。
日本では「おもてなし」などと、今大げさに騒いでいますが、ドイツ人は本当に皆、さりげなく親切にふるまいます。
「おもてなし」というのは、本来このように困った人がいれば手助けし、自分より弱者であればいたわる、こうした自然な行為であり、ことさら自慢すべきものではないと思います。
この点でもドイツの人々の自然なふるまいには大いに見習うべきと感じます。

 明日はこのまま旅行を続ける人もいて、ツアーの人が皆で集まる最後の食事となりました。
私は街中でベルリン名物の立ち売りのカレーブルストを食べたかったのですが叶わず、
ホテルでようやくカレーブルストを食べることができました。
これも予想以上においしかったです。 
 

さて帰国はベルリン市内にあるのテーゲル空港から、
この空港は2017年に完成予定のベルリン空港が完成すれば閉鎖となるようですが、
都心からわずか20分の便利な空港です。
日本からの直行便はなくフランクフルトへ乗り継ぎです。

最高でも28度。
それもからっとしたさわやかなドイツから酷暑の湿度の高い雨の日本へ帰国して
早ひと月近く、ようやく時差ボケも日本の暑さにも慣れましたが、
心は早くも、再度のドイツへ行きを切望する気持ちでいっぱいです。
もしまた行ける機会があれば、ドイツ語をもっと勉強し、自由にドイツ国内を
自分一人で回りたいものです。
ベルリンには2泊しましたが、初日の到着は7時過ぎでホテルで食事、3日目は朝にチェックアウトして空港へということで、実質1日だけが観光でした。

そこで、ベルリン観光はまずブランデンブルク門。

写真では少しわかりにくいですがブランデンブルク門の前の曲線に敷き詰めたタイルが
いわゆるベルリンの壁の跡です。
ベルリンの壁と言えばこのイーストサイドギャラリー

日の丸が描かれたところもあります。
                
その後はベルリン市内をバスで巡り、博物館島へ、そして新博物館見学。

           

最後の訪問地ベルリンへの到着は、アウトバーンで渋滞があったものの
ポーランド人の運転手ウイリーさんが巧みに混雑を避け、
アウトバーンを下りて一般道路を走ってくれたおかげで、
ほんの少し予定より遅れただけで無事ホテルに入れました。
ホテルは動物園の隣でベルリンの中心部にありました。

動物園の入り口は何故か中華風、そしてこれも何故か、園内にはこいのぼりが・・


 ウイリ―さんは陽気な良い人で1週間ずっと一人で運転して行動を共にしてくれたので、
ベルリンのホテルで別れるときには皆名残を惜しみました。
それにしてもアウトバーンがこんなに混んでいたのは1週間の旅行中で初めてで、

       
さすが首都ベルリンへ近づいたことを実感させられました。
このアウトバーンはヒットラーの残した良い方の遺産で、
まだ自動車がそんなに普及していなかった時代にヒットラーの命令で作られたのですが
こういう仕事は、独裁者、絶対権力者でないとまず、できなかったでしょう。
今やそのおかげで、ドイツの国内中にこの道路が縦横に張り巡らされ、
ドイツの交通に、いやEU圏の交通に大きく寄与しています。
最高速度120kというのは、大型車のみで、普通乗用車は事実上無制限。
しかも無料です。
従って途中に料金所、信号もなく、止まることはまずありません。
そんなアウトバーンですが、事故は驚くほど少なく、ドイツ人のルール順守の精神が生かされています。
一般道では、横断歩道付近に歩行者の姿があるだけで、間違いなく車は停車します。
そして幹線道路には必ず自転車道が併設され、普通の道路の歩道にも必ず自転車レーンがあります。
最近日本では自転車に対する規制ばかりが先行していますが、エコであり、
無公害、健康にも良い自転車が走るための道路の整備がまずされるべきだと思います。
狭い国土で歩行者、自転車でなく、まず車優先の考え方は、もういい加減に捨てるべきです。

私は奈良こそ歩行者が優先されるべきと思い再三、県、知事に県庁交差点の歩行者の地下道をやめ、自動車こそを地下にすべきと訴え続けていますが、一顧だにされません。

余計な話はこの辺で。

ドイツは人口は約8千万、
 民族的にはドイツ人が90%。
他の先進国と同様少子高齢化は進んでいますが,EU圏の周辺国から質の良い労働者が続々とドイツへ入り込んでいますので、当分労働力不足の心配はありません。
また今ヨーロッパの他の諸国で問題を引き起こしているイスラム圏からの流入は
国土が内陸である関係でフランスやイタリアほどではありません。
国土は少し日本より狭い(日本の葯94%)ですが
 南ドイツのアルプス寄りの地域がわずかに山地があるだけで、
国土の90%が耕作、居住可能の平地です。

アウトバーンのどこを走っても見える景色は畑か草原か丘陵。
しかし、日本のように人の手が入っていないような荒れ地や、耕作放棄地と言ったところは見られません。
 ですから、数字の単なる比較では見えませんが、人口に対する国土の広さは
日本の数倍を超え、ゆったりとしています。

ドイツ人は休むために働くと言われるほど、労働時間は短いですが質は高いものがあります。
 かっての連合国にとって、ドイツや日本が軍事力を持つことは脅威であり、その封じ込めもあり、ドイツはNATOで守られ、日本は日米安保でも守られた結果、軍事費は低く抑えられそれは経済発展を助けた面があります。ただ、最近は従順な日本と違って、ドイツは必ずしもアメリカに全面的に従わないケースが増え、むしろその存在感は増しているやに感じられます。
   ドイツにとって当面の地政学的な脅威であるロシアは、ウクライナ問題はありますが、
 かっての南下政策のようなヨーロッパに進出する野望も余力も今のところはなく、
また目下のところ中国は経済的な側面のみで、ドイツにとっては国防上の脅威ではありません。
この点、中国の膨張に悩まされている日本に比べ地政学的には優位にあります。

 GNP世界4位のドイツは経済面では日本にとって最大のライバルと言えると思います。
 最近日本で日本をむやみと自画自賛するテレビ番組が増えているのが気になります。
かってのように自虐的になる必要はありませんが、広く世界を見れば、
日本より優れている国は多くあり、ドイツはその筆頭かと思います。
ドイツでは車をはじめ、ほとんどの製品が国産あるいはEUで占められ、
日本製品の進出は容易ではありません。
外国を旅行するとどうしても日本を世界の中で俯瞰して、今の日本が心配になります。
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奈良市にあった喫茶店『可否茶座 アカダマ』の元マスター.
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