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卒論の草稿を提出してしまうと、その結果が帰ってくる11月末まで、何をしたらいいのか分からない。

最終提出は1月の初めだから、却って来てからでは1カ月しかない。

だからと言って、講評を聞くまでなにを手直ししたらいいのかが分からない。

実に困った状況です。

とりあえずまた中臣氏関係の本を読んでいます。

そこで、昨日アカダマ会で聞いて、その時聞き流していた伊勢神宮の話が、今日読んでいる本に出ていました。

 

日本書紀によれば、天照大神の御魂として神鏡がニニギの命に授けられ、その後神武天皇以降宮中に奉安されていたいたのを、崇神天皇が神鏡を宮中に奉安するのを憚って、大和の笠縫村に遷す。

垂仁天皇の時、皇女の倭姫が神鏡を祀るにふさわしい場所を探し求め、大和の兎田、近江、美濃を巡って伊勢について、五十鈴川のほとりに宮を建てたのが伊勢神宮の草創とあります。

その倭姫に随行していたのが天児屋根命の10世の孫という大鹿島です。

垂仁天皇の25年春2月に中臣氏の遠祖とされる大鹿島、阿部氏の遠祖武淳川別、和邇氏の遠祖彦国茸、物部連の遠祖十千根、大伴氏の遠祖武日が五太夫に任じられた記事があります。

伊勢神宮が創建されると、大鹿島は祭官に任じられ、その子孫が後を継いでいったと言われます。

外宮の禰宜は、度会という地名を氏の名とする土着の豪族であったのに対し、内宮の禰宜の荒木田氏は天児屋根命一二世の孫、天見通命を祖とし、中臣氏と同族であると言われてています。

孝徳天皇の時代神宮の祭礼・庶務一般を処理する神庤司を設け、中臣香積須気に管理させたとあります。

このように伊勢神宮の創始発展に中臣氏が大きな役割を果たしています。

だから、どうだと言うことですが、その最初が大鹿島。

なぜ鹿島なんでしょうか?

これは、ちょっと説明不可能。

ともかくも、伊勢神宮と中臣氏は深いかかわりがあり、祭礼をつかさどるという職制もこの伊勢神宮とのかかわりから推察されると言うところです。



 


 

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