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ご存知のように、天平9年(737)都を襲った疫病は藤原四兄弟を次々と襲い、また橘諸兄の弟佐為も死なせてしまいます。

このとき房前57歳、麻呂43歳、武智麻呂58歳、宇合44歳。その当時の平均年齢が何歳かは知りませんが、ともかく、なんの心構えも、死後に対する手配もできずに倒れて行ったと思います。

その前、天平五年(733)には橘美千代が、天平七年(735)には天武の子、舎人親王と新田部親王も亡くなっています。

かくして朝廷はまったくの人手不足と言うか、政治を執り行うこともできない状態となります。

そこで急遽長屋王の弟鈴鹿王を知太政官事に、橘諸兄を大納言に任じます。また藤原氏では唯一武智麻呂の長男豊成が参議となります。

そして、その当時医学が発達していませんから、病気の治療と言うか、加持祈祷は僧侶が行います。

そこで頭角をあらわしてくるのは留学僧であった玄昉です。

そればかりでなく、天平九年に隔離状態であった聖武天皇の母、宮子の病を治してしまいます。

なんと37年ぶりというか、生まれて初めて聖武天皇は母と対面を果たしたのです。

その喜びは国名まで、大倭から大養徳と代えてしまうほどでした。

かくして政権の中心は藤原氏の手から一変してしまいます。

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