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なんとなんと、聖武天皇は驚きあわてて、都から逃げ出してしまします。

もちろん直接兵を指揮する立場ではありませんが、仮にも最高指揮者である天皇が都をおっぽりだして逃げ出すとは、驚きの反応です。

聖武天皇にとっては、武力による反乱者が出たことがまず驚きですが、それが藤原氏であることがショックだったのです。

藤原氏は天皇にとっては言わば身内です、しかも不比等依頼、常に忠実な家臣として天皇家を支え続けてきた、最も信頼できる部下である藤原氏が叛乱を起こすなどとは、まさに驚天動地、想像を絶する出来事だったのでしょう。

それにしてもですが、さらにその逃げ出したときにはもう既に反乱軍は鎮圧されています。

もちろん、今のように通信手段がありませんから、どうしてもタイムラグが生ずるのですが、なんとも間の抜けた話です。

しかも、広嗣処刑の報が入った後も,徘徊を続けます。

お坊ちゃまとしては、叛乱の知らせが入って、前後のことも考えず逃げ出したのですが、言わば初めて都を離れて、これが意外と気に入りました。

言わば日々の重圧から開放されたのです。まわりにはうるさい重臣もいません。日常の行事からも開放されます。

こうして、その後も徘徊を続けるのですが、このコースは天武天皇の壬申の乱でたどったコースをなぞっています。

前から言っている様に、奈良時代は不比等が天智天皇から天武天皇に略奪された政権を天智の子である、持統天皇を助けることによって、天智の血筋に戻したのが始まりです。

しかし、同時に聖武天皇は当然ながら天武の血もひいています。

天武の否定と、その血筋という自己矛盾を抱えた聖武天皇はそのことに心の中で葛藤があります。

そして天武が否定される中で、ひそかに天武に対する憧れをはぐくんでいました。

そして今回の出来事によってその気持ちが表に出てきたわけです。

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