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こうして、長屋王を死に追いやった後、これでもう聖武天皇にとってライバルになりえる人はないと言えますが、まだ安心しません。

天武の子がまだ他にも生き残っています。舎人親王と新田部親王です。

舎人親王は形だけとはいえ太政官の首座知太政官事です。

そこで、なんと舎人親王に敬意をはらうなと言う、不思議な命令を出します。

本来太政官の最高位である舎人親王が朝堂に参入するとき、諸司の官人は親王のため座席を降りて敬意を表するにおよばない。

このような理不尽な命令が出ても長屋王の死をみて、舎人親王は反発することができません。

かくして、邪魔者はすべて排除で来たのですが、今度は人材不足に陥ります。太政官には大臣がいません。

そこで、各省庁に呼びかけて適当な人材を推薦せよと呼びかけます。

聖武天皇は、独裁的であるかと思えば、後の遷都でもみなの意見を募ったり変に民主的な面もあります。

その呼びかけに応じて朝廷の管理職のうち9割近くが推薦者を出します。

結果6人の新しい参議が決まります。その中には不比等の三男宇合、四男麻呂、不比等の妻である三千代の子葛城王が含まれます。

と言うことは、太政官の中で大納言不比等の長男武智麻呂、房前に加え不比等の子が4人まで占め、あと一人も三千代の子と言う藤原家にとっては万々歳結果となります。

しかし、それでもまだ不比等の子達は不比等の教えを守り、天皇の忠実な臣下としての節度を保っていました。

ところが事態は一変します。

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