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この第2期の玉作遺跡、滑石製模造品製作遺跡が大和政権の東国進出に関連して存立したものと考えられています。
ところが霞ヶ浦、利根川を結ぶ水流の東北の地(これは鹿島神宮が所在する土地)にはこの遺跡が検出されていません。
これに対し、水流の以南、以西の地、すなわち千葉県北部、霞ヶ浦西岸の茨城県稲敷郡、筑波郡を中心とする地域にはこの祭礼遺跡が濃密に分布しています。
したがって5世紀ごろの段階では、大和政権の勢力範囲が鹿島の地に及んでいなかったと考えられます。
香取神宮の祭神は経津主神ですが、また斎主神とも言われています。
斎主は神を祀る人とも理解されます。
斎主は、戦いに際して軍団の長が神を斎い祀る。
このような祭礼の司祭者が香取の斎主神として祀られたと考えられます。
香取神宮の位置は霞ヶ浦と利根川の合流点近くに当たり、水運の交路としては、焦点となる位置です。
まさに戦略的、軍事的拠点として重要な意味を持ちます。
このように、香取の神は大和政権の東国進出における軍団の長、同時に司祭者として神祭りを司った人、すなわち斎主であると考えていいと思われます。
では、この大和政権の軍団の長となった氏族はといえば、物部氏を比定するのが妥当と考えられます。
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