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もっか皇太子がいない、従って次の天皇になるべき人が決まっていない事態です。

しかも称徳天皇は法華寺に籠もって亡くなるまでの100日、太政官の誰とも会おうともしない。

言わば強い男性不信の陥っています。

そこで、側近の吉備由利が真備とのつなぎの役を果たしたと考えられます。

こうして、神護景雲4年(770)53歳の女帝は孤独のうちに世を去ります。

後継者は吉備真備がリ-ダーシップをとって決めたと考えます。

白壁王(709~781)、天智天皇の子施其皇子の子、要するに天智の孫です。

奈良時代はずっと言い続けているように、天武の子ではなく、持統天皇の血筋を守ってきた時代です。

そのために、持統、元明、元正、称徳と女帝が産み続けられました。

そして最後の女帝は、子無きがために、この皇統は堪えることが運命付けられていました。

しかし、ここで真備は最後の手段として、白壁王を選びました。

何故最後の手段化といえば、やむにやまれぬ方法だからです。

そもそも、阿部内親王が女性でありながら初めての皇太子についたのは、光明皇后の聖武天皇に対する意地でした。

もう一人の妻、県犬養広刀自の子に安積親王に皇位が行くことを防ぎたかったからです。

しかし今、持統天皇の思いを伝えるためには、白壁王を皇位に就けるしか道が残されていません。

白壁王は天智の孫だから選ばれたのではなく、井上内親王、聖武の血引く娘を妻としているから選ばれたのです。

この、ブログの最初のほうで、皇位には母系と言う考え方もあると紹介しました。

継体天皇が即位する条件は手白香皇女を妻とする条件がありました。

生まれた子、欽明天皇はようするに継体の子というより、手白香皇女の子、そのことによって正統な天皇となるわけです。

同じことが、今回も求められました、白壁王の妻は聖武天皇の子、井上内親王、2人の間の子は聖武天皇の血を引いた、持統天皇の血筋に繋がると言うことです。

しかし、この苦肉の策はひっくり返されてしまいます。

 

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