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今までは言わば夫の陰に隠れた存在だったので、具体的にどう関わったかはわかりませんが、塩焼王が亡くなった後769年には不破内親王自体が罪に問われます。

その結果、京外へ追放され、名前を「厨真人厨女」と改名させられます。要するにはした女という意味です。

息子の氷上志許志麻呂は土佐へと配流されます。

そして共謀者として県犬養県姉女が巫蠱の罪で配流の上同じく名前を犬部姉女と改名させられます。

大体称徳天皇は名前を貶めるのがお気に入りのようで、例の宇佐八幡宮の信託事件でも和気清麻呂の名を穢麻呂と改名さしています。

このように、不破内親王は寡婦となっても罪に問われるのですが、これも後に冤罪とわかりますように、やはり阿部内親王との確執も絡むと思います。

そして、称徳天皇が亡くなり、光仁天皇の代となり771年冤罪が晴れて復位します。

ここで、少し変なのは称徳帝が亡くなって光仁天皇が即位して、要するに姉の井上内親王が皇后になってすぐに許されず、井上内親王が皇后を廃された後、罪を許されている点が妙といえば奇妙です。

井上内親王いやこの時点で皇后と不破内親王の距離感が微妙です。

こうして罪を許された不破内親王ですが、なんとまた782年、息子の川継による謀反に連座して淡路に配流されてしまいます。

こうして、不破内親王の一生は終わります。なんともすさまじい人生といわざる得ません。

さてもう一人の聖武天皇の娘井上内親王はどうだったか?

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