なまじ聖武天皇の子として生まれ、皇后腹の阿部内親王が皇太子、天皇となったがために、持つべきでない野望を持ってしまった不幸でしょうか。
不破内親王は波乱に飛んだというか不幸な人生をあゆむことになってしまいました。
不破内親王は723年生まれ、井上内親王より6つ、孝謙女帝より5つ下です。
そして739年に16歳で塩焼王と結婚します。
塩焼王は新田部王の子、天武の孫王です。そしてあの皇太子を廃嫡された道祖王の兄です。
ところが結婚して、3年後742年に塩焼王は伊豆に流されます。
理由はよくわかりませんが、1説には紫香楽京に反対したからといわれていますが、私は続日本紀の女儒4人と一緒に拘禁されて平城の牢につながれたという記事が気になります。
女儒とは要するに、はした女、下働きの女性です。
何故女儒4人と一緒につかまったのか?
常識的に考えると、1番考えやすいのが淫らな行為をしたというやつです。
弟の道祖王も廃嫡の理由が「ひそかに待童と姦淫してうんぬん」要するに身持ちが悪いということでしたが、どうもこの兄弟はそう言う方面にだらしないということでしょうか。
さて記事には不和内親王についての記述はありません。普通この時代は家族も同罪で、一緒に配流されるものですが、もし女性関係であれば、内親王はいわば一種の被害者、無事だったかもしれません。
いずれにしろ、結婚してすぐに夫が島流しにあったわけです。
しかし、それで終わりではありません。745年に罪を許されて帰京したのですが、757年奈良麻呂の変に巻き込まれます。
この時は首謀者ではなかったし、新田部親王の血筋を残すためということで言わば処分保留で釈放されます。弟の道祖王は獄死しています。
この時、臣籍の降下して氷上真人と名前を変えています。
せっかくこの時許されたのですが、今度は仲麻呂に担がれて仲麻呂の変では斬殺されてしまいます。
まあつくづく夫運が悪いというか、あるいは不破内親王も一緒になって変に加わることを進めた可能性もあります。
こうして寡婦になった内親王ですが、これで終わりではありません。
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