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仲麻呂の失脚は光明皇后の死によって始まったと言うのは定説でその通りなのですが、結果がそうであって、光明皇后の後ろ盾うんぬんというのは少し違うと思います。

孝謙天皇は即位以来、常にNO2でした、聖武天皇、光明皇后が政治を実際は取り仕切り、実務はほとんどnoタッチと言う感じでした。

そして、光明皇后が病に伏した後は、看護のため譲位します。

そして、光明皇后が亡くなって初めて、政治に目覚めたと言ってもいいかもしれません。

でもその時には、実権はすべて仲麻呂にありました。

孝謙天皇は愚鈍な人ではありません、むしろ聡明であったと思います、そして教養もありました。

若いときからその時の第1級の教養人である吉備真備、僧玄眩がそばに仕え、言わば家庭教師役を担っていました。

ところが、吉備真備も玄眩も仲麻呂によって、遠く九州の地に左遷され孝謙天皇の傍から遠ざけられます。

恐らく、孝謙天皇の側近になられることを恐れたのでしょう。

言わば話し相手、相談相手を取り去られた天皇は光明皇后の看病禅師であった、道鏡と出会います。

巷間いわれる男女の関係が2人の間にあったかどうか、これは実際のところはわかりません。

しかし、相談相手のいない女帝にとっては、道鏡は格好の相談相手であったことは容易に想像がつきます。

女帝は21歳で皇太子になっています。

結婚はその時点でありません。そしておそらく女帝は常人以上に男女の間に潔癖な人だったと思われます。

道祖王の皇太子を廃嫡したのも女性に対する「不品行」が理由です。

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