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何故女帝が道鏡に皇位まで譲ろうとしたのか?種々理由はあろうかと思いますが、和気王の叛乱が決め手になった気がします。
奈良麻呂の変、仲麻呂の変で多くの天武の血をひく王達が連座しました。
安宿王、黄文王、道祖王、塩焼王、船親王、池田王そして淳仁帝の大炊王。
そして最後に皇太子にと密かに考えていた和気王の叛乱です。
これで天武、持統の血脈は完全にたたれました。
もちろん称徳帝は子を設けることはできません。
称徳帝は事あるごとに持統天皇から聖武帝に至るまでの繋がりを詔で触れています。
その血が堪えてしまった今、いっそ関係の無い道鏡を帝位に就けてもかまわないと考えたのでしょうか。
道鏡と言う人が実際どれだけ能力があったかわかりません。
しかし統治者となるには決してしてはならないことをしています。このことだけで上に立つ資格がありません。
それは身内の重用です。
弟の弓削清人を大納言。一族から五位以上を10人も取り立てます。
基真と言う親族は法参議大律師に取り立てられ、その行いのあまりに横暴なため流罪になっています。
このように身内でさえあれば能力に関係なく取り立てると言うような行いは最も慎むべき所業ですが、それができない時点で道鏡の程がわかります。
かくしてすべてに絶望した称徳帝は最後にはすべての男性を身の回りから遠ざけます。
その時身の回りを世話したのが、吉備由利という女性です。
吉備真備の娘です。
吉備真備は70歳でようやく中央政界に復帰して右大臣。
地方の豪族から出世して右大臣にまで至ったのは菅原道真とこの真備の2人のみです。
称徳帝の信頼する真備ですがその復帰はあまりにも遅すぎたと言わざる得ないでしょう。
結局、称徳帝の幕引き役を引き受けることになります。
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