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論文は論文で、わかりやすさのかけらもないので、解説をしようと書き始めましたが、

第1章を終わった時点で、しばらく止まっています。

と言うのも、解説するために、もう1度史料を読み直していると、あれやこれや疑問点やら、

問題点が出て来て、収集不能状態です。

そもそも、卒論でこのテーマを選んだのは、第2章を書きたいがためでした。

でも最初、担当教授から、あまりにも難しすぎる。

資料がないと言う理由で止められ、結局大きくテーマを広げ、今の題名になっています。

それだけに第2章に対するこだわりが強いので、もう1度史料の読み直しをしています。



第2章 

第1節「中臣氏の名義について


そもそも、中臣氏は何故中臣氏か?ということです。

姓名といいますが、この時代「姓」は天皇から賜与されるもので、臣民たる象徴です。

だから天皇、皇族には姓はありません。

貴族は、氏名(ウジメイ)と姓(カバネ)を合わせたものを「姓」(セイ)とします。

例えば

    藤原 朝臣 不比等
    |   |  |
   ウジ名  カバネ  名

藤原朝臣までが、姓(セイ)です。
カバネはウジの職務や家柄などの公的な地位を示すものとして、
7c末ごろまでには世襲されるようになったとみられます。
大化前代のカバネには、臣、連、君、別、直、造、首などが
あります。
ウジは職業に基づいて天皇から賜与されたようです。
その天皇ですが、3世紀ごろから、いわゆる大和王権から
始まったわけですが、最初は、幾つかの有力氏族が連合して成立
したと考えられています。
臣姓は例えば、平群臣、葛城臣、出雲臣などのように、
多くは地名を持って氏の名前としています。
ようするに、その大和王権を構成した有力豪族に与えられた
ようです。
いわば、天皇になったかもしれない豪族です。
それに対して、連姓は大伴連、物部連のように、その氏族が負う
職掌を氏としていることから、大和王権内部の政治組織として
生まれる部民の統率者に与えられたものです。
王家に対する官人としての立場であり、大和王権の成立に重要な
役割を果たした豪族と言えます。
さてそこで、中臣連です。
困ったことに、臣、連両方がついています。
でも最後の連の方が、常識的にカバネです。
じゃ、最初の臣は何だと言うことになります。
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