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【中臣氏系図】 【始祖】天児屋根命 【出自】神別(天神系)
(1)天児屋根命(神号春日大明神)
(2)天押雲命― (3)天種子命 ―(4)宇佐津臣命―(5)大御食津臣命―
(6)伊香津臣命(一云、雷大臣命・鳥賊津連)
14代仲哀天皇9年の記事、四大夫 神功皇后の審神者の記事。
19代允恭天皇にも伊賀津使主、同一人物か?大鹿嶋の後という説も。
(7)梨迹臣命 ―(8)神聞勝命(鹿島宮への奉幣)― (9)久志宇賀主命―
(10)國摩大鹿嶋命(探湯主命)
(クニウズ・クニナズ オオカシマ)
11代垂仁天皇25年の記事。伊勢神宮祭主。五大夫の一人。
一書により,同じ25年探湯主卜占の記事があることから
同一人物か?。
(11)臣狭山命(倭武天皇)― (ここに雷大臣命を置く系図もある)
(12)跨耳命― (13)大小橋命― (14)阿麻毘舎卿 ―
(15)音穂臣 阿毘古大連―(16)眞人大連―
(17)賀麻大夫(鎌子)欽明天皇記 ―
(18)勝海 (仏教導入を巡る争いの中で死亡)
黒田― (19)常磐 (中臣連始)―
阿礼波(磐余・伊禮波)
仏教導入の争いの中で没落か?
(20)加多能祐 -(21)御食子(弥気)― (22) 鎌足―
國子(征新羅大将軍)―国足
糠手子―金
(23)意美麻呂 (国足の子) 鎌足の婿養子となり一時藤原姓を継ぐも、
後に不比等が藤原姓を継ぎ、中臣姓に戻り、
子の清麿が大中臣姓を賜る。
以上が中臣氏の系図です。
これが事実であるかどうかなどは、あまり問題ではなく、
こういう風になっていると言うことです。
要するに、中臣氏の始まりは、天児屋根命である。
この中で一応10代となっている、國摩大鹿嶋命(探湯主命)が
『日本書紀』に初めて登場する、中臣氏です。
この大鹿島は伊勢国風土記のも登場して、
伊勢神宮の祭官となり、以降中臣氏が祭官を務めます。
同じ年(垂仁天皇25年)別伝には中臣連祖探湯主と言う人物が
登場して、卜占をしたという記事があります。
だからこの2人は同一人物だと言う説と、別人だと言う説が
あります。
仲哀天皇の9年には中臣鳥賊津連と言う人物が登場します。
この系図では第6代になっているので、時代が合いません。
したがって、大鹿島の後と言う系図もあります。
臣狭山命の後、狭山彦命と同じ時代の雷大臣として、
登場するのがこの鳥賊津連だというわけです。
この雷大臣は多くの子孫と称する一族を持つ人物です。
そして、五世紀の允尭天皇の舎人として、おなじ
中臣鳥賊津使主と言う人物があります。
同一人物とすれば、2百年以上生きていたことになりますから、
別人と考えるのが常識ですが、武内宿禰と言う人は5代の天皇に
仕えたことになっていますから、あながち別人と言いきれない
ところが、この時代です。
以上の中臣氏については、『日本書紀』以外の記述がなく、
実在性を他に立証できず、今見てきたように、
やや理解不能な存在です。
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