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古社記ですが、これは鎌倉初期の13世紀頃に成立したものです。

それより少し前、平安末期の12世紀半ばに成立した
「春日皇代記」という書物には、最初の春日の社司の筆頭として、
時理(ときまさ)、助満(すけみつ)という名があり、
時風、秀行は登場しません。

この時理、助満は、後世の社家の系図では、時風、秀行から
4,5代目にかかれていて、この名前は平安時代11世紀の
公家の日記;「権記」や「水左記」にも書かれており、
まぎれもなく実在した人物です。

そうするとどうなるかと言えば、8世紀に時風、秀行が
実在していれば、この時理、助満は11世紀ですから、
300年で4,5代しかたっていないことになります。
(普通1代で30年ぐらい、300年たてば10代はいるはず)

ですから、古社記だけで、これが歴史的事実と断定はしにくいわけです。


この古社記は、天慶三年(940)に正預従四位下大東信清の端裏書したものを
大東延慶が自筆し、明治二十四年
(1891)八月に寄進したものですが、

この信清は、永承七年(一〇五二)に亡くなっており、
天慶三年とは年は隔たっています。
(天慶3年(940)に仮に20歳とすれば、永承7年(1052年)には
112歳)

またその内容、著作年代及び著者ともども正確性、信憑性にかけます。

例えば、その創立の日についても、

 

「以終、神護景雲二年  十一月九日 申戊  寅時、宮柱立、御殿造了」

とありますが、11月9日は『続日本紀』によっても「己卯」で、
この年の11月には
「戊申」は存在しません。

また、同じ古社記の中で、春日明神が安部山を経て、
春日山に遷座された年月日が違う記述もあります。

申の日にこだわるのは、春日祭が申祭りとも言われ、
清和(せいわ)天皇の859年(貞観1)11月9日の庚申(こうしん)
の夜執行されて以来、春2月、冬11月の上の申(さる)の日を祭日と
定められたため、申祭の名があり、ここから逆に、申の日に
合したものと考えられます。
明治以降は313
と決められたので、申の日とは限りません。
このように、古社記に神護景雲2年とあるから、その日で良いじゃないかと言うのは、
学問的には認められないわけです。
ただ鎌倉時代以降に書かれた書物には、広く神護景雲2年説が取り上げられ、
世間的には、一般化していました。

学問的に、受け入れがたいもう一つの理由は、それ以前に春日の地に置いて、
春日社があった可能性を示す文献があるからです。

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