今回、こうやって何回か自説を披露しましたが、きっかけは武甕槌神のことを少し調べる必要から、古事記を読み返したことでした。
出雲の国譲りに登場するのが武甕槌神。
なんと海上で太刀の切っ先の上に座って大国主に国譲りを迫ります。
なんともはやアクロバティクと言うか、奇妙な姿です。
さらに読み進めると、高志のヤマタノオロチ、頭と尾が八つ、長さは八つの峰にわたり、背中に檜と杉の木、ほおずきのような赤い目、まっかにただれた腹。
ここから、どんな姿が想像できるでしょう、神話だから事実の描写ではないとしたら、なにを暗示しているのでしょう。
古事記の上巻の神話のうち、四割以上が出雲神話、日本書紀にはその四分の一しか書かれていません。
如何にに出雲神話の比率が高いか、それは何故か、疑問に思えば謎だらけです。
古事記は大和朝廷、天武が作成を命じた歴史書ということです。
それなのに、なぜ出雲の歴史をそんなに語るのでしょう?
神武天皇が本当に日向の国からやってきたのであれば、日向の国の歴史を語るべき、いや語るのが当たり前。
大体日向の国は7,8世紀になってもヤマトに従わぬ未開の国。なぜそこが古里なのでしょう?
奈良大学の科目で言語伝承論と言う科目があります。
そこで古事記の国生み神話は海上からの視点で書かれているという指摘を目にしました。
確かに、内陸のことは何も書かれず、国生みと言いながら出来るのは島ばかり。
ふと、これは神武の東征の下敷きではないかと考えました。
淡路から出発して、瀬戸内を九州へ、関門海峡から日本海に出て、日本海上の島々と九州そして本州南西部の中国・北陸あたりを日本海側から望み、その後また淡路島に至る。
これを逆と考えれば、何故淡路島が国生みの最初か合点がいきます。
瀬戸内を東行すれば、いやでも淡路島が大きく立ちはだかります。
インパクトは非常に大きいはずです。だから最初の国生みが淡路島。
孔子の論語に「学んで思うわざれば則クラシ、思うて学ばざれば則アヤウシ」という言葉があります。
やはり、まず疑問に思えることは何故か考えることが大事なのではないでしょうか。
今回私が書いたことは単なる推論ばかりです、検証はまだ全くできていません。
でも、こうやって推論して考えることは必要だと思います。
しかし、寄り道をしすぎました。
本題と関係ないことにこれ以上かかわる余裕はないので、この話はここまでにしておきます。
余裕ができたら、また続きを考えたいと思います。
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