12月22日(日)には高槻市まで、「中臣鎌足と阿武山古墳」と名ずけられたシンポジウムに行ってきました。
なんと朝9時開場で9時45分開始。そして終了が16時45分という長丁場です。
奈良からざっと2時間、9時に行こうと思えば7時前に家を出なければならず、前日が忘年会ということもあり、私は朝の講演は残念ながら見送り、午後からの参加でした。
基調講演とシンポジウムに顔ぶれは、高槻市立今城塚古代歴史館の今西康宏氏、森田克行氏、日本染織史が専門の河上茂樹氏、元奈文研の猪熊兼勝氏、近つ飛鳥博物館館長の白石太一郎氏、難波宮研究の中尾芳治氏、そして古代史の和田翠氏、朝日放送の牟田口氏、司会役でおなじみの水野正好氏と各界の第一人者をそろえたそうそうたる顔触れでした。
観客はざっと500人、なんと朝から通しで聞いている人がほとんどで、結局最後まで帰る人はほとんどなく、考古学というか、歴史好きの人の熱心さには頭が下がりました。
この1日懸りのシンポジウムの中身について、簡単にはまとめられませんが、事実認定の難しさを改めて認識しました。
昭和9年に京大の地震観測所の工事に伴って偶然発見されたこの古墳から未盗掘の古墳が発見されたことが発端です。
その後、考古学と理学部の間での主導権争い、私の記憶ではその過程で自殺者もでるような大問題となったのですが、そこへ戦前の不敬という考えも立ちはだかり、調査が不十分のまま埋め戻されると言う結果から、未解明の部分が多く残ったことが問題を複雑にしました。
副葬品の豪華さや、古墳の形態から、被葬者は鎌足ではないかという推論はほぼ、衆目の一致するところですが、決定的な事実はなく、土器の編年や、文献資料はからは多くの疑義が生じ、いまだ決定はなされていない状態です。
従ってシンポジウムも考古学や、副葬品の研究、あるいは文献史学の立場から問題点の指摘があり、結論はもちろん出るものではなく、喧々諤々の議論に終わったということです。
幸い、今日朝日テレビでこの特集が夕方放映されるようで、興味のある方はぜひご覧ください。
ただ私としては、何故この地に鎌足の墓が築かれたとか?いう根本問題についてあまり議論が深まらなかったのが不満でした。
この事についてはいろいろ書きたいことがあるので、もう少しまとめてから次回にでも書きます。
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