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森浩一先生のお別れの会*が下記要領で行われます。
 
日時 平成二十五年九月十五日(日)
午前11時~午後1時(受付1030分~)
 
場所 京都タワーホテル 8階にて受付
 
問合せ先 075-251-3437(同志社大学考古学研究室)
※平日午後1時~午後3時の間にお願いします
 
・ 平服でお越しください。
・ 香典、供花などは辞退します。
・ 会の内容は、数人のスピーチと、献花です。どなたでもお越しいただけ ますが、満席の場合、献花のみでお引き取り願う場合もあるかもしれません。
・ 飲食物はありません。
・ 遺品の展示はありません。
・ 配布物(式次第などの印刷物、記念品など)はありません。
・ 報道機関の取材はOKですが、会の趣旨にしたがい、静穏を乱さないようにしてください。お手持ちの腕章を必ず付けてください。

朝日新聞の紹介記事によると

 「考古学を一般にも分かりやすく紹介し、古代史との統合をめざした考古学者同志社大学名誉教授の森浩一(もり・こういち)さんが、6日午後8時54分、急性心不全のため京都市下京区の病院で死去した。85歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻の同志社女子大名誉教授淑子(としこ)さん。自宅は京都市東山区本町15の778の18。

 1928年、大阪市生まれ。同志社大大学院修士課程修了。大阪府立泉大津高校教諭を経て、72~99年、同志社大教授をつとめた。

 宮内庁が陵墓に指定している巨大古墳を天皇・皇族の名ではなく所在地名で呼ぶことを提唱。教科書などで堺市にある国内最大の古墳「仁徳天皇陵」が「大山(だいせん)古墳」へと書き換えられるきっかけをつくった。その一方、「考古学は地域に勇気を与える学問だ」として「東海学」「関東学」などを提唱。古代の地域文化の実証と顕彰にも尽力した。

 退職後に腎臓を患ったが、人工透析を続けながら講演、執筆活動を精力的に続けた。賞は受けないことを信条としたが、2012年に第22回南方熊楠賞を「地方による賞だから」と受けた。著書に「古墳の発掘」「考古学の模索」「巨大古墳の世紀」「地域学のすすめ」などがある」

私は学部も違い、考古学研究会の顧問も丁度その前の酒詰先生との交代期に当たり、直接の接点はありません。
しかし、その後のご活躍は今さら言うまでもありませんし、同志社の考古学の評価を高めた功績は大なるものがあります。あらためてご冥福をお祈りいたします。

 

 

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