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3世紀中頃から7世紀初めまで、日本列島では前方後円墳は約5200基作られました。

その中で墳丘の長さが200mを超える巨大前方後円墳はわずか32基。

そのうち22基が大和・河内・和泉・摂津の畿内に集中しています。

100m以上にしても302基、そのうち140基がおなじく畿内に偏在しています。

それだけでなく、古墳時代を通じて最大級の古墳は常に畿内に造営されています。

王の中の王。大王墓というものが畿内に集中しているのが事実です。

こういったことから、これらがヤマト王権の盟主、王の墓であろうと考えられます。

これらのある場所は畿内の5大古墳群と呼ばれています。

天理市・桜井市にかけて展開する大和・柳本古墳群。

奈良市の佐紀古墳群。広陵町や河合町にまたがる馬見古墳群。

そして大阪府藤井寺市・羽曳野市・堺市にまたがる百舌・古市古墳群がそれです。

それらは前方後円墳であるという共通性を持ちます。

同じ墳形の採用は、同一の儀礼を伴う葬制の継承を意味します。

そしてその儀礼では首長権の継承儀礼が付随すると考えられます。

一方で王墓である前方後円墳の築造場所を王権の所在地とすることには疑問があります。

王墓は、なにより王の遺体が祀られる場であって、

その王の埋葬場所と政治的センターが同じであるかどうかは別問題とも言えます。

こう言った観点から、河内が単なる埋葬場所か、あるいは政権の中心地であったかという見解が分かれ、

そこから多くの説が展開しているわけです。

 そして、その時の権力者が何処に王宮を定め、何時どこへ移動したかを、王墓から見ていくのが、

この時代を理解する手掛かりかと思います。その王墓は巨大前方後円墳です。

もう少し、河内の古墳の意義について資料を読んでいきたいと思います。

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