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この一連の遷都は一体どういう意味があったか、正直聖武天皇の気持ちはわかりません。
ともかくも奈良の都が嫌、そして、絶対君主である自分は何をしても許される。
自分は第2の天武になるといった気持ちだったのでしょうか。
ここで、事実として忘れてはならないのは、確かにこの時代、天皇制はもはや、だれも犯すことのできない、絶対的なものになっていた。
聖武天皇がいかに横暴であっても、それを諌め正す、あるいはその地位を脅かすものは誰もいない、いなかったという事実です。
おそらく長いに日本の歴史の中で、天皇の地位が1番強固であった時代がこの時代であったということです。
そしてこの体制を作り上げたのは天皇自身というよりやはり不比等の力であったということです。
こうして、不比等が作り上げた強固な律令制とその上にある天皇。その力を1番利用したのが自身意識していたかどうか微妙ですが聖武天皇です。
そして頂点であったがゆえに、後は下り坂になるのは歴史の必然です。
思えば、持統天皇の執念として我が子に天皇の地位を継がせたい、子が死ねばその孫に、その孫が若死にすればその子に、そしてその執念を実現するために次々と女帝がリレーをし、そのバトンを最後に受け継いだ、元明、元正天皇、そしてそれを陰で支え続けた不比等、妻の三千代。
そのゴールが聖武天皇です。ゴールまでは強い意思と執念、言わば高いモチベーションが維持されましたが、目標が達成された後、同じモチベーションを持ち続けることは不可能です。
そしてなお不幸なことに聖武天皇にはついに男子の後継者ができませんでした。
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