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701年不比等と三千代の間に安宿媛は、奇しくも聖武天皇(首皇子)と同じ年に誕生します。

首皇子は文武天皇と同じく不比等の娘宮子の間に生まれたわけですから、光明子とは異母兄弟です。

その時、持統天皇はその2人の誕生を知っています。

だからと言って将来2人の結婚を考えたかどうかはわかりませんが、信頼する不比等の孫が同年に誕生したことに何らかの感慨はあったかもしれませんね。

714年、聖武天皇は皇太子となり元服します。

715年には元明天皇が、本来なら皇太子に譲位すべきだが、まだ年和で後宮を離れられないからということで、娘の元正天皇(氷高内親王36歳)に譲位します。

この辺からも聖武天皇の頼りなさと言うのは伺えます。

そして翌年、元明天皇が首皇子に光明子を授けると言う形で結婚します。

ただの娘と思うな、あの忠臣不比等の娘ですぞ、大切にするのですよ、とわざわざ言葉を添えます。

もちろん、言葉通りでしょうが、首皇子には既に子供をもうけた県犬養広刀自という妻がいます。

そのことと、当然関わっての発言でしょう。

天皇、皇太子というのは跡継ぎが絶対いるわけですから、何人も妻がいるのは言わば常識です。

だからといって、子さえもうけた妻がすでにいるというのは光明子にとって心穏やかなわけでは当然ありません。

余談ですが、奈良時代でも、もう天皇が好きな時に外歩きして、好きな女性をみつけるなんてことはできません。

また、その当時の妻は当然通い婚ですが、天皇に限ってはその家に娘を迎えると言う形になります。

そんなわけで、広刀自も差し出された娘ですが、その中でも気に入って首皇子が手を付けたわけですから、まあ好きだったということでしょう。

そこへ、元明天皇から、大事にしろと言って与えられた光明子。非常に微妙ですよね。

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