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光明皇后にとって、国家のことは関係ないといったのは言いすぎかもしれません。
天平という時代を事実上支えてきたのは光明皇后です。
聖武天皇は何故か自分に自信がありません。非常に内省的でナイーブ、でもわがまま。
その天皇をずっとサポートしたのが光明皇后ということです。
広嗣の乱で、慌てふためいて奈良の都を言わばおっぽり出した聖武天皇はその後も彷徨します。
絶対的帝王のわがままです、だのに自信のない天皇はアンケートをとったりして、どっちの都が良い?
五位以上の官人で「24対23」六位以下で「157対130」で恭仁京が僅差で勝ちます。でも聖武天皇は実際は難波に都を移したいので、今度は民衆の声を聞きます。
ここでは圧倒的に恭仁京に軍配が上がります。そこでどうしたかと言えば。
ささっと難波に行ってしまいます。
あのアンケートはなんだったんだ?ということです。ところが難波に都を移したか思えば、上皇左大臣を残して
皇后と紫香楽へいってしまう、そして取り残された元正天皇もやがて紫香楽へ、従って新都のはずの難波はからっぽ、遷都の詔もないまま紫香楽が新都になる。
こんな状態で1番困るのはもちろん庶民、役人だってこまる。
ちなみに今、1300年祭で復元されている大極殿は恭仁京に移される前の建物です。
こうした状態で当然国民の怨嗟の声が上がるが、絶対的権力者である聖武天皇の耳には届かない。
そのうち天災に人災も加わって結局奈良の都に帰るわけですが、もう皆はへとへとです。
これでも叛乱が起きなかったのはむしろ不思議なくらいですが、左大臣橘諸兄、光明皇后の必死の支えがあったからとしか考えられません。
こうした背景の下に阿部内親王が即位します。
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