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中臣氏系図では第6代、時には11代と書かれている

雷大臣は多くの子孫と称する一族を持つ人物です。
『新撰姓氏録』
中臣志斐連 天児屋根の11世孫、雷大臣命の男
中臣連      “        ” の後
中臣栗原連     “       ”
壱岐直       “       ”
神奴連       〝       “
生田首      “        ”
津島直      “        ”
呉公         13世孫   ”
三間名公 仲臣 雷大臣命の後
竹原連  新羅国阿羅々国主の弟、伊賀都君の後
このように多くの出自を雷大臣にする氏族があり、

 この雷大臣は、ただならぬ宗教性を感じ、神か人か定か

 ではありません。

 そしてこの場合、天児屋根命がむしろ、第二次的に

 雷大臣を修飾する形で扱われているとさえ思われます。
つまり、雷大臣が媒体となって天児屋根命が祖神として

 祀られるようになったのではないか、この雷大臣がこそが逆に、

 イカツオミが雷そのものであり、農耕祭祀の中心をなす天神として、

 タケミカズチという神格が生じたという説もあります。

  五世紀の允尭天皇の舎人として、おなじ中臣鳥賊津使主

 と言う人物がいます。
皇后の妹である衣通姫に允暁天皇が思いを寄せ、
  
 姉を気遣って参上しようとしない姫を説得して、

 七日間その庭に伏して頑張った熱意にほだされて、

 皇居に向かうわけですが、途中

 『倭の春日に到りて、櫟井の上に食(かれひく)ふ。

 弟姫,親ら酒を使主に賜ひて、その意を慰む』

 と『日本書紀』書かれた人物です。
中臣氏と春日との関係も表していますが、

 中臣氏が「ひめ」を詔喚し出現さす宗教的威力を持つ

 祭礼氏族として、さらには神人共食の類型ともいえます。
さらにこの「いかつおみ」が媛神信仰を生じ占める役割を果たし、

 そこに春日の第四神比売神に結び付くとい説もあります。
このことは、春日、鹿島、香取の祭礼の主体に女性祭礼が

 継承されていることに結び付くと考えられます。
仲哀天皇と允尭天皇に登場するイカツオミが同一人物とすれば、

 2百年以上生きていたことになりますから、

 別人と考えるのが常識ですが、武内宿禰と言う人は

  5代の天皇に仕えたことになっていますから、

 あながち別人と言いきれないところが、この時代です。

 
以上の中臣氏については、『日本書紀』以外の記述がなく、

 実在性を他に立証できず、こういう人物がいたという記述が

 日本書紀にあるとしか言えません。
学者の間では「到底史実とは思えない。中臣氏が大伴、三輪、

 物部等と肩を並べる旧族とは言えない。
 
 国史編纂の過程で中臣氏が諸家の伝承と調和するように

 うまく潤色したものであろう。」
といった意見が大勢です。
 
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